アラゴン断章

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 アラゴン断章
                大島博光訳

 頂上に辿りつくのを わたしはいつも自分の 義務だと信じてきた
 まるで 全人類をこの身に担っていたかのように
 まるで 全人類をこの身で明日の展望台へとみちびいていたかのように
 まるで 全人類をそこへみちびく任務を果していたかのように
 ああ なんという子どもだろう 子どもだろう わたしらは
 群衆のなかで 色のついた紙きれで遊んでいる なんと哀れな小さな子どもだろう

 この断章は、アラゴンの長大な詩『エルザの狂人』の終りに近い部分、「洞窟」の章にある。この断章の前には、よく引用される、つぎのような有名な詩句がある。

 わたしは過去を思い描いた たちまち移り たちまち過ぎるこの現在を追い越すために
 わたしは過去を思い描いた 美しい未来を 見るために

 アラゴンがここで「思い描いた過去」は、十五世紀末、スペイン・グラナダのイスラム王朝最後の王ボアブディルの悲劇──グラナダの陥落」を中心とし、アラブの悲恋物語「ライラとマジュヌーン」を織りまぜ、とりわけマジュヌーン(アラブ語で狂人を意味する)の口をとおして詩人じしんが歌い語るという形式をとっている。こうしてこの大作では、戦争、平和、未来、人間の運命などが追求され、アラゴンの詩の集大成といわれ、その詩業の頂点のひとつといわれる。
 さて、この「断章」にもどろう。

  「まるで 全人類をこの身に掩っていたかのように……」
というのは、だれの眼にも大言壮語と見えるだろう。だから、むろん、アラゴン自身も、そういう自分自身を「なんと哀れな小さな子どもだろう」と自嘲している。それでもなお、「頂上に辿りつくのをいつも自分の義務だと信じてきた……」と言わざるを得なかった。そのとき、この大言壮語を、この大いなる善意を、だれが笑うことができよう。そうしてやはりそのとき、世界に呼びかけつづけたあの実践的な大きな詩業のなかから、アラゴンの偉大さが浮かび上ってくるのである。
(『稜線』1996年10月)

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