松代の養蚕の話(6)むすび

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松代の養蚕の話(6)むすび

大島:松代の養蚕と製糸場について、地元にお住まいの原さん、雨宮さんのお話しを聞いて、とても勉強になりました。今まで松代は城下町と大本営地下壕しか頭に入っていなかったが、ちょうどその間の時代(明治・大正から昭和初期)に養蚕と製糸業で大盛況を呈したこと、松代の動脈だった長野電鉄が生糸を運ぶために作られたこと、須坂も同じように盛んだったことなどを知りました。

「繭を買いたたかれて、買いたたかれて、恨み重なる富岡製糸場!」と埼玉・本庄の大野英子さんが語った富岡製糸場、当時経営していたのが原富太郎(三溪)。横浜市民の憩いの場である広大な日本庭園・三渓園は児玉の養蚕農家の、信州や上州の養蚕農家の汗と涙が元になっているんですね。

横浜出身の佐相憲一さんの詩集で、佐相さんのルーツたる新保重太郎さんも生糸輸出街道にできた鉄道で信州から横浜へ出てきたことを歌っていました(「波音 Ⅶ」──佐相憲一詩集『時代の波止場』)。生糸を通した信州と横浜との人のつながり・人の流れがイメージできて、当時のことをもっと知りたいと思いました。

山下公園
横浜港を望む山下公園
 
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