松代の養蚕の話(5)横浜に出た新保重太郎

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(5)横浜に出た新保重太郎

明治の中ころ、生糸輸出街道にできた鉄道で信州から横浜へ運ばれたのは生糸だけではなかった。新天地を求めた若者たちも横浜に向かった。新保(しんぽ)重太郎もその一人だった。
新潟の漁村・潟町(かたまち)に生まれた新保重太郎は、親族とともに信州千曲川の海野宿(うんのじゅく)隣の田中のまちに住みつき、養蚕関係か宿場の仕事をしたらしい。その後親族と別れて、青年重太郎は一人で横浜の港にたどりついた。

佐相憲一さんは「波音 Ⅶ」で、曽祖父である新保重太郎、そして港町横浜への愛着を歌っています。

・・・
横浜のドヤ街は寿町だけじゃない
横浜橋商店街の隣は旧遊郭・真金町
どぶ川を渡って谷底の一帯が
中村町、八幡町、山谷
開港の頃から労働者のまちだ
流れ者が全国から寄ってきた
・・・
若い新保重太郎よ
君は横浜中村町周辺で明治四十年・一九〇七年
親のわからない女性セイさんと結ばれて
ぼくの祖父が生まれた
会った記憶は二回しかない離婚父方の祖父・一郎
ぼくは彼はあんまり好きじやないが
重太郎よ
君には大いに関心がある
ぼくの中の何かがそう言っている
だからもう十五年間も
除籍謄本にちらと出てくる君を追いかけているのだ

重太郎よ
初めて見たハマの港はどうだい
・・・
信州、上州からの生糸のすべてが横浜を窓口に世界へ輸出された
混沌とした猥雑な港まち
人生を好転させるはずが底辺にくすぶり続ける人々の渦
労働者、商売人、芸人、遊女、浮浪者
ごちゃごちゃとしたハマの裏通りが形成された
・・・
セイさんは君と結ばれて幸せになっただろうか
女工さんか、売り子さんか、色町仕事か
その影は
君たちの息子の一郎がいっしょになったぼくの祖母
よ志さんとも重なる
・・・
深淵を見ながら働いたセイさん、よ志さんも
君が勇気を出してハマに出てこなかったら
ぼくに連なる何も生まれなかった
たとえその物語が苦いばかりのものであっても
重太郎よ
ぼくは君と共に
横浜の海と潟町の海の
波音を聴いていたい
・・・
戦争と平和運動、時代経済と労働者の闘い
雑踏と音楽酒場、享楽と彷捏
世界各国からの文化の風と
日本各地からの人の風
雑多にひしめく横浜だ

その深い闇の入り口で
新保重太郎よ
ぼくは君に出会ったんだ
好奇心と夢と生きる意欲にあふれていた重太郎よ
さすらいの血を受け継いだのは
九十三歳違いのぼくだ
・・・
(「波音 Ⅶ」──佐相憲一詩集『時代の波止場』より)

時代の波止場

(コールサック社 2012年刊)

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