松代の養蚕の話(3)松代・須坂と横浜

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(3)松代・須坂と横浜

雨宮:富岡製糸場は外国産の機械だけれど、松代の製糸場は国産の機械だったんです。須坂にも大きな製糸場があり、松代と並んで大生産地だったんです。今も大きな蔵が残っています。

*須坂の製糸業が全盛の大正時代には、工女たちは須坂全体で6千人を超えて町は活況を呈しました。須坂劇場では松井須磨子が公演で「カチューシャの歌」を歌い(大正3年)、中山晋平作曲の「須坂小唄」が大流行し、工女たちのために臥竜公園が建設されました。

大島:そうすると、須坂ー松代ー屋代を結ぶ長野電鉄(河東線)は生糸を運ぶ為に出来たんだね。屋代から信越線で運ばれて、最後は横浜から輸出された。そういえば横浜に三渓園という大きな日本庭園があるけれど、元の持ち主が原三渓と言って、生糸の販売で富をなした人なんです。松代・須坂も三渓園と繋がっているんですね。
(つづく)

松代駅
かっての松代駅
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