松代の養蚕の話(2)製糸工場の設立と工女への特別教育

ここでは、「松代の養蚕の話(2)製糸工場の設立と工女への特別教育」 に関する記事を紹介しています。
(2)製糸工場の設立と工女への特別教育

松代の製糸工場のあらましについては花井信氏(静岡大学教育学部教授=当時)の論文「信州松代における製糸工場特別教育について(2)」で知ることができます。(http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/5053)
それによると、1980年代、松代は県下の製糸業の中心的存在であり多くの工場が設立された。六工社 (西条に1874年創業)、六文銭(創業1883年)、窪田館 (東条に1895年創立)、松城館 (東条に1888年創立)、白鳥館 (1898年開設)などが松代町とその近隣に創業を開始し、1890年代後期から1900年代初頭に最盛期を現出させた。しかし1912年に六工社、自鳥館、松代館が事業不振となり、六工社は本六工社 (1901年創業)に引き継がれることになった。職工数の規模からいえば、六文銭、六工社、松城館、窪田館、本六工社が抜きんでていた(六文銭 600名・六工社 482名・松城館 497名・窪田館 779名・本六工社 613名)。

六工社では夜学が開設されていた。「工女一同夕食後夜学を致すことになりました。読書・習字・玉算と有りました……工女方も皆喜んで大かた毎夜出られまして中々盛んでありました 」(和田英『富岡日記』) 製糸工場に行けば教育を受けられるという意識は、年少労働者たちが製糸工場へ行く際に、期待に胸をふくらませる誘因剤として続いたという。

花井氏のこの論文では、製糸工場の年少労働者に対する初等教育が製糸工場内の特別学級や尋常小学校の特別学級で組織的に実施されたことが資料をもとに非常に詳細に述べられています。その成果は「工女教育の効果は日々の事業の上に現れて来た。其れは工女の品性が一般に善良になって来た為に、仕事が真面目に行はると同時に、教育の力は智識を向上して監督を多く要せず、良質の生糸を製出し得るに至った。のみならず其生産高を増したのである」(六文銭工場主)。

*花井氏は私が都立西校時代、一緒にうたごえサークルや青年運動をした同期の仲間ではないかと思います。松代の養蚕を調べていて50年ぶりに巡り会ったのは奇遇ですね。

横田家住宅
和田英の実家・横田家住宅
和田英
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2459-75f2cf83
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック