永遠の若者-アラゴンのピカソ讃歌
ピカソの人と作品をふりかえってみて、われわれがそこに見いだすのは、若くしてとてつもない才能を示し、たちまち古いアカデミックな絵画作法や規則を破り棄て、その天才的な才能を惜しげもなく濫費し、以来、その創造力、抑えがたい衝動、度外れの野望、相つぐ着想と発見を証明しつづけ、すべてを語った芸術家の姿である。それらすべてをとおして鳴りひびいているのは、ピカソの人間讃歌であり、人民への愛であり、不正への憎悪である。
一九七一年十月、ピカソの生誕九十年を祝って、アラゴンは「パブロ・ピカソと呼ばれる若者の大いなる日のための演説」という長い詩を贈っている。この詩のなかでアラゴンは、ピカソの真の姿、その本質、その意義についてつぎのように書いている。
パプロ・ピカソと呼ばれる若者の大いなる日のための演説
アラゴン
絵画を変えるとは人間を変えることだ
洞窟の壁に黒い野牛が描かれてこのかた
同じものは一度も描かれなかった
人間はまた壷のうえに裸体で描かれた
愛する姿で たたかう姿で
あまり神が描く力を手にしたので
ときどきここかしこに恐怖(パニック)が起きた
絵画を変えるのは いままで見えなかったものを
見えるようにするためだ
見えるものをちがった風に結びあわせる
ひとつの流儀をつくるためだ
反逆天使(リュシフェール)が事物のうえに投げた
禁じられたまなざしをつくりだすためだ
絵画を変えるのは ひとつの天国をしつらえ
人間の地獄への扉をひらくためだ
絵画を変えるという
この絶えざる冒険にくらべられる
どんな冒険があろう
こうして汚らわしい見せびらかしのために
絵画を占有する者から
絵画を奪い返すことだ
王侯に仕える幇間どもから黄金の絵筆を取りあげ
滅びやすいものに永遠の命を与えることだ
最初の人間と同様に
最初の林檎を
最初の煙草箱を描くことだ
一つの世界をつくるには つまらぬもので事足りる
すべては過ぎさるものとしてモデルになる
一皿のアスパラガスも
いったい誰がアルティショの季節(*l)を永続させえよう
ひとはひとが何を描くかを描かない
見ることは考えることだ
描くことはものを言うことだ
眼は夢みる ああ あらゆる部分がわたしに襲いかかる
未来にすべり込む 絵画の暗喩(メタフォール)とその光
仮説の庭園をつくりだす
この現在の奇妙な魔術に
わたしは没頭する。
それはパブロと呼ばれる
ひとりの若者とともに始まる
最初の自動車の現われる前
わたしが眼をひらいたこの世界の初めに
かれの額は現われる
ひとはまだ シャツを変えるように
世紀を変えるのだと信じていた
おお こんにち「大きな輪」を思い出すパリよ
思い出せば ちょっと後 わたしが子供だった頃
ピカソと呼ばれる若者のおかげで
テーブルや椅子をまったくちがった風に見た
びっこをひきながら 肩を振りながら
わたしは彼から学んだ
それらをあの観念の図式で見るのでなく
それらが使われるときのままに見ることを
さらにいま立って行った肉体の重みや愛撫を
それらの上に見いだすことを
瓶 コップ それら
ごく自然に雑然としてあるもの それら
すばらしく従順なもの
彼はわたしに教えた そしてピカソはたくさんの人たちのために
一つ一つの物のなかに人間のならわしを感じるふりをし
ギターのまわりの大気のなかで
灰色や薄茶色や白が顫えて
ギターの音が聞えるような振りをした
・・・
突然 あのわれらの人生の中頃
ドラクロワがシオの虐殺を描いた
その頃にも似た 何かが起った
想ってもみたまえ「ゲルニカ」という絵を
人びとがこの世で初めて見た日のことを
そのために今この瞬間(とき)まで絵画の空気は震えているのだ
それゆえにそれゆえに
くちびるは眩暈(めまい)を云々するのをためらうのだ
一再ならずスペインの風はわれらの方へ吹いてくる
一再ならずヴェラスケスはマネの呼び声に駆けつける
一再ならずゴヤとその黒い光が射してきて
自然のなかに色彩はないと彼は云う
一再ならず「アンダルシアのジプシーの歌(*2)」が山々を越えてやってくる
その詩人(*3)の身は爪先から頑まで引き裂かれる
永遠にピカソと呼ばれる若者がすでに存在を始め
悲惨と愛の青い歌とともに彼自身となってすでに久しい
いくつの時だったか
わたしが見たこの画家の最初の絵は
ウェルタ・デ・ヴァランスの風景画で
そのためにわたしは永いあいだ
絵と実際とを較(くら)べようとつとめる
わたしは鏡と対象とのかかわりあいを理解する
それには「歴史」と「共和国」と戦争(*4)とが必要だった
おお突然 とある美しい夕ぐれ
賃借りした貨物自動車(*5)から
友軍か敵兵か 死者たちの散らばった街道の上を
照らすあの夏の終りの光を見ようとは
だが 馬ではそんなに速く行かれはしない
口から泡を吹いていた時代よ
・・・
いまだかつて絵画において 愛することについて
人間であることについて 人間をはっきりと認め
人間を眼で見えるように示すことについて
これほど気高く粘り強い宣言はなかった
欲望と悦楽の名を これほど大胆に
声高く叫んだ声はなかった
・・・
そして官能の太陽のもとの この力強い大いなる叫びを
何ものも年齢も弱めることはできなかった
この叫び この断言をゆがめたり
骨抜きにしたり 偽善者の法律に従わせたり
前例によって煙に巻いたり
だらだらした長談義の宮殿に閉じこめたり
そんなことはもうだれにもできないだろう
・・・
花束の下にピカソを息づまらせることはできない
何ものも彼の沈黙の高らかな声
彼がみなぎらせる大きな風の音は
これからもずっと聞える いつまでも聞えるだろう
おお 画家よ おお 後の世の父よ
おお 限界を乗り越えてゆくひとよ
きみに挨拶をおくる
想像された天国ではなく 地上にいるきみに
パブロよ きみに挨拶をおくる
きみのおかげで われらは
きのうから永遠の方へと歩いてゆく
パブロよ わたしはここで永遠にきみを「若者」と呼ぶ
*1 アルティショちしゃの季節-第二次大戦中、ピカソが描いた「アルティショをもつ女」を指し、レジスタンスの時代を意味する。アルティショはサラダ用の野菜。ちしゃの類。
*2・3 「アングルシアのジプシーの歌」は、ガルシーア・ロルカの詩で、ロルカはフランコ派によって銃殺された。
*4 「共和国」と戦争 - スペイン市民戦争を指す。
*5 貨物自動車-スペイン戦争の折、アラゴンは「賃借りした貨物自動車」に、スペイン人民戦線への救援物資を積んで、スペインへ駈けつけた。
この詩には、一貫してアラゴンの実践的なレアリストの立場がつらぬかれている。
絵画を変えることは人間を変えることだ
この一行には、彼じしんが苦悩にみちて体験した自己変革の重みがある。彼じしんその自己変革をふくめての実践をとおして、自己の詩を新しい人間の歌、新しい世界の歌へと変えたのであった。絶えずおのれの限界を乗り越えて。そしてアラゴンは、
おお 限界を乗り越えてゆくひとよ
とピカソに呼びかける。まさしく二十世紀の二人の偉大な画家と詩人は、いずれも自己の限界を越えて、つねに新しい芸術に挑戦し、新しい芸術を創造しっづけたのである。
いまだかつて絵画において愛することについて
人間であることについて…
これほど気高く粘り強い宣言はなかった
欲望と悦楽の名を これほど大胆に
声高く叫んだ声はなかった
ピカソの絵画の本質とその意義を語った、これほど直哉明快なことばはない。愛がないがしろにされ、愛することがむつかしい時代、人間が忘れさられ、人間が矮小化される時代にあって、ピカソの絵画はまさに力強い愛の讃歌であり、楽天主義的な人間讃歌である。したがって、この人間的な叫びを、実存主義的な、あるいは形而上学的な「だらだらした長談義の宮殿」に閉じこめてはならないし、また「煙に巻いて」神秘化してはならない。
この詩で、アラゴンは九十歳のピカソを「若者」と呼んだが、それからまもない、一九七二年四月、ピカソは「若い画家」を描いている。これは恐らくピカソ最後の自画像であろう。それは、あらゆる複雑を通過した後の、きわめて単純な線で描かれている。イチジクの葉っぱをとっぱらった、生まなまとした「接吻」、あるいは「パイプをくゆらす男」「闘牛士」などのはてに、それは描かれた。「百歳になったらわたしも、あの北斎の言ったように、さっとふるったひと筆で、思いのままのものが描けるようになるだろう」そう言ったピカソの至芸の境地を、その枯淡飄逸の線のなかに見ることができよう。
(新日本新書『ピカソ』より「永遠の若者-アラゴンのピカソ讃歌」)
(参照)新聞連載「私のピカソ」若い画家
ピカソの人と作品をふりかえってみて、われわれがそこに見いだすのは、若くしてとてつもない才能を示し、たちまち古いアカデミックな絵画作法や規則を破り棄て、その天才的な才能を惜しげもなく濫費し、以来、その創造力、抑えがたい衝動、度外れの野望、相つぐ着想と発見を証明しつづけ、すべてを語った芸術家の姿である。それらすべてをとおして鳴りひびいているのは、ピカソの人間讃歌であり、人民への愛であり、不正への憎悪である。
一九七一年十月、ピカソの生誕九十年を祝って、アラゴンは「パブロ・ピカソと呼ばれる若者の大いなる日のための演説」という長い詩を贈っている。この詩のなかでアラゴンは、ピカソの真の姿、その本質、その意義についてつぎのように書いている。
パプロ・ピカソと呼ばれる若者の大いなる日のための演説
アラゴン
絵画を変えるとは人間を変えることだ
洞窟の壁に黒い野牛が描かれてこのかた
同じものは一度も描かれなかった
人間はまた壷のうえに裸体で描かれた
愛する姿で たたかう姿で
あまり神が描く力を手にしたので
ときどきここかしこに恐怖(パニック)が起きた
絵画を変えるのは いままで見えなかったものを
見えるようにするためだ
見えるものをちがった風に結びあわせる
ひとつの流儀をつくるためだ
反逆天使(リュシフェール)が事物のうえに投げた
禁じられたまなざしをつくりだすためだ
絵画を変えるのは ひとつの天国をしつらえ
人間の地獄への扉をひらくためだ
絵画を変えるという
この絶えざる冒険にくらべられる
どんな冒険があろう
こうして汚らわしい見せびらかしのために
絵画を占有する者から
絵画を奪い返すことだ
王侯に仕える幇間どもから黄金の絵筆を取りあげ
滅びやすいものに永遠の命を与えることだ
最初の人間と同様に
最初の林檎を
最初の煙草箱を描くことだ
一つの世界をつくるには つまらぬもので事足りる
すべては過ぎさるものとしてモデルになる
一皿のアスパラガスも
いったい誰がアルティショの季節(*l)を永続させえよう
ひとはひとが何を描くかを描かない
見ることは考えることだ
描くことはものを言うことだ
眼は夢みる ああ あらゆる部分がわたしに襲いかかる
未来にすべり込む 絵画の暗喩(メタフォール)とその光
仮説の庭園をつくりだす
この現在の奇妙な魔術に
わたしは没頭する。
それはパブロと呼ばれる
ひとりの若者とともに始まる
最初の自動車の現われる前
わたしが眼をひらいたこの世界の初めに
かれの額は現われる
ひとはまだ シャツを変えるように
世紀を変えるのだと信じていた
おお こんにち「大きな輪」を思い出すパリよ
思い出せば ちょっと後 わたしが子供だった頃
ピカソと呼ばれる若者のおかげで
テーブルや椅子をまったくちがった風に見た
びっこをひきながら 肩を振りながら
わたしは彼から学んだ
それらをあの観念の図式で見るのでなく
それらが使われるときのままに見ることを
さらにいま立って行った肉体の重みや愛撫を
それらの上に見いだすことを
瓶 コップ それら
ごく自然に雑然としてあるもの それら
すばらしく従順なもの
彼はわたしに教えた そしてピカソはたくさんの人たちのために
一つ一つの物のなかに人間のならわしを感じるふりをし
ギターのまわりの大気のなかで
灰色や薄茶色や白が顫えて
ギターの音が聞えるような振りをした
・・・
突然 あのわれらの人生の中頃
ドラクロワがシオの虐殺を描いた
その頃にも似た 何かが起った
想ってもみたまえ「ゲルニカ」という絵を
人びとがこの世で初めて見た日のことを
そのために今この瞬間(とき)まで絵画の空気は震えているのだ
それゆえにそれゆえに
くちびるは眩暈(めまい)を云々するのをためらうのだ
一再ならずスペインの風はわれらの方へ吹いてくる
一再ならずヴェラスケスはマネの呼び声に駆けつける
一再ならずゴヤとその黒い光が射してきて
自然のなかに色彩はないと彼は云う
一再ならず「アンダルシアのジプシーの歌(*2)」が山々を越えてやってくる
その詩人(*3)の身は爪先から頑まで引き裂かれる
永遠にピカソと呼ばれる若者がすでに存在を始め
悲惨と愛の青い歌とともに彼自身となってすでに久しい
いくつの時だったか
わたしが見たこの画家の最初の絵は
ウェルタ・デ・ヴァランスの風景画で
そのためにわたしは永いあいだ
絵と実際とを較(くら)べようとつとめる
わたしは鏡と対象とのかかわりあいを理解する
それには「歴史」と「共和国」と戦争(*4)とが必要だった
おお突然 とある美しい夕ぐれ
賃借りした貨物自動車(*5)から
友軍か敵兵か 死者たちの散らばった街道の上を
照らすあの夏の終りの光を見ようとは
だが 馬ではそんなに速く行かれはしない
口から泡を吹いていた時代よ
・・・
いまだかつて絵画において 愛することについて
人間であることについて 人間をはっきりと認め
人間を眼で見えるように示すことについて
これほど気高く粘り強い宣言はなかった
欲望と悦楽の名を これほど大胆に
声高く叫んだ声はなかった
・・・
そして官能の太陽のもとの この力強い大いなる叫びを
何ものも年齢も弱めることはできなかった
この叫び この断言をゆがめたり
骨抜きにしたり 偽善者の法律に従わせたり
前例によって煙に巻いたり
だらだらした長談義の宮殿に閉じこめたり
そんなことはもうだれにもできないだろう
・・・
花束の下にピカソを息づまらせることはできない
何ものも彼の沈黙の高らかな声
彼がみなぎらせる大きな風の音は
これからもずっと聞える いつまでも聞えるだろう
おお 画家よ おお 後の世の父よ
おお 限界を乗り越えてゆくひとよ
きみに挨拶をおくる
想像された天国ではなく 地上にいるきみに
パブロよ きみに挨拶をおくる
きみのおかげで われらは
きのうから永遠の方へと歩いてゆく
パブロよ わたしはここで永遠にきみを「若者」と呼ぶ
*1 アルティショちしゃの季節-第二次大戦中、ピカソが描いた「アルティショをもつ女」を指し、レジスタンスの時代を意味する。アルティショはサラダ用の野菜。ちしゃの類。
*2・3 「アングルシアのジプシーの歌」は、ガルシーア・ロルカの詩で、ロルカはフランコ派によって銃殺された。
*4 「共和国」と戦争 - スペイン市民戦争を指す。
*5 貨物自動車-スペイン戦争の折、アラゴンは「賃借りした貨物自動車」に、スペイン人民戦線への救援物資を積んで、スペインへ駈けつけた。
この詩には、一貫してアラゴンの実践的なレアリストの立場がつらぬかれている。
絵画を変えることは人間を変えることだ
この一行には、彼じしんが苦悩にみちて体験した自己変革の重みがある。彼じしんその自己変革をふくめての実践をとおして、自己の詩を新しい人間の歌、新しい世界の歌へと変えたのであった。絶えずおのれの限界を乗り越えて。そしてアラゴンは、
おお 限界を乗り越えてゆくひとよ
とピカソに呼びかける。まさしく二十世紀の二人の偉大な画家と詩人は、いずれも自己の限界を越えて、つねに新しい芸術に挑戦し、新しい芸術を創造しっづけたのである。
いまだかつて絵画において愛することについて
人間であることについて…
これほど気高く粘り強い宣言はなかった
欲望と悦楽の名を これほど大胆に
声高く叫んだ声はなかった
ピカソの絵画の本質とその意義を語った、これほど直哉明快なことばはない。愛がないがしろにされ、愛することがむつかしい時代、人間が忘れさられ、人間が矮小化される時代にあって、ピカソの絵画はまさに力強い愛の讃歌であり、楽天主義的な人間讃歌である。したがって、この人間的な叫びを、実存主義的な、あるいは形而上学的な「だらだらした長談義の宮殿」に閉じこめてはならないし、また「煙に巻いて」神秘化してはならない。
この詩で、アラゴンは九十歳のピカソを「若者」と呼んだが、それからまもない、一九七二年四月、ピカソは「若い画家」を描いている。これは恐らくピカソ最後の自画像であろう。それは、あらゆる複雑を通過した後の、きわめて単純な線で描かれている。イチジクの葉っぱをとっぱらった、生まなまとした「接吻」、あるいは「パイプをくゆらす男」「闘牛士」などのはてに、それは描かれた。「百歳になったらわたしも、あの北斎の言ったように、さっとふるったひと筆で、思いのままのものが描けるようになるだろう」そう言ったピカソの至芸の境地を、その枯淡飄逸の線のなかに見ることができよう。
(新日本新書『ピカソ』より「永遠の若者-アラゴンのピカソ讃歌」)
(参照)新聞連載「私のピカソ」若い画家
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