『アラゴン』──ヴェネチアの悲劇 2)詩集『大はしゃぎ』

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2)詩集『大はしゃぎ』
 ナンシーは彼女の金持ちぶりをふりまくだけでなく、いろいろなごたごたを起こして、二人の生活をめちゃくちゃにする。
 また『ブランシュあるいは忘却』(一九六七年)のなかには、つぎのような思い出が書かれている。
 「わたしは恋をしていると思い込んでいた。わたしはある女の影になっていた。すきま風が部屋のなかに入るように、彼女はわたしのなかに入ってきた。彼女は自分の愛した男たちのことを話した。わたしは自分のつまらない冒険(アヴァンチュール)については口をつぐんでいた……」
 サン・ルイ島のアパルトマンでの二人の生活は恐らく幸福だったろうが、やがて金持ちのナンシーの贅沢な習慣、社会的な不釣り合いなどのために、アラゴンは二人の生活をつづけることができなくなる。彼はのちに書く。
 「……わたしの人生に、ひとりのひじょうに美しい女がいた。数年わたしは彼女といっしょに暮らした。じっさいは、わたしは彼女といっしょに暮らすようには生まれついていなかった。あるいは、彼女はわたしといっしょに暮らすようには生まれついてはいなかった」(『詩作品全集』第三巻「まえがき」)                            
 そうしてそれは一九二八年夏のヴェネチアの悲劇となって終る。しかしこの悲劇の種は、すでに彼らの恋の初めから重くのしかかっていたにちがいない。恋の終り頃には、ナンシーは正気を失うほどに酒をあふり、酒乱となり、自分を抑えることができなくなって、アラゴンをてこずらせた。詩集『大はしゃぎ』(一九二九年)の題名は反語でそう名づけられたものだが、この詩集は、二人の悲痛な葛藤の時代の詩を集めたもので、そこには詩人の自嘲、怒り、絶望のひびきがある。
 アラゴン自身がこの詩集についてアルバンに語っている。それは「わたしの書いた詩のなかで、もっとも純粋に感情の世界にぞくする詩である」(『アラゴンは語る』)

 『大はしゃぎ』の調子は、軋(きし)み、冷笑的で、歌は締めつけられ、リズムは崩れ、怒りのひびきをもつ。

  スープに唾を吐く連中を おれは好かない……
   おれはあの連中を好かない
  やつらはひどく偏狭で愚鈍だから
  やつらは両親のきめた時刻に朝めしや夕めしを食うから
  やつらは劇場や学校へ行き
  「七月十四日」の閲兵式を見に行くから……

 この詩集はのちに朗読詩としてたいへんな人気を獲得する。
(つづく)

<新日本新書『アラゴン』>

大はしゃぎ
詩集『大はしゃぎ』

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