『アラゴン』──ヴェネチアの悲劇 1)ナンシー・キュナード

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ヴェネチアの悲劇

1)ナンシー・キュナード
 共産党入党後もアラゴンは、芸術の面でも、思想の面でも、私生活の面でも、さまざまな矛盾に苦しみ、混乱と動揺がつづく。まことに生の弁証法は複雑である。
 一九二七年一月に入党して、二月にはアラゴンは新しい恋人に会うためにロンドンに渡る。ところが、この恋人は、共産党員アラゴンには不釣り合いなイギリスの大ブルジョアの娘で、キュナード郵船の創設者の孫娘ナンシー・キュナードであった。

  ロンドンの一夜
  わたしは二月の黄色い霧のなかを歩く
  これから始まる愛を抱いて ただひとり
  彼女はやってくるだろうか
  わたしはいらだつ足どりで果てしなくほっつき歩く
  幽霊(ファントム)たちと出会いながら……
        (『未完の物語』)

 ナンシーは一八八六年生まれで、アラゴンより十一歳年上である。彼女は一九二〇年の初めからパリに住んでいた。彼女は数冊の詩集をもつ女流詩人で、エズラ・パウンドなど、アメリカの知識人たちとつきあっていたが、やがてパリの前衛芸術家たちと接触するようになる。「ひじょうな美人」で、旅行が好きだった。彼女はアラゴンといっしょに、スペイン、オランダ、イタリア、ドイツ、フランスのあちらこちらを旅行して歩いた……。二人の生活には落ちつきがなく、絶えず揺れ動いていた。喧嘩をし、また仲直りをして……。

  彼女は過ぎゆくものしか愛さず わたしは流れる時の色どりだった
  サン・ルイ島さえも彼女には ひとつの旅にすぎなかった
  彼女はいつもよその土地を語り それを聞きながらわたしは夢みていた
   海の音をなつかしむ貝殻のように

  ひとりの女 それは未知のうえに開いた扉で
  ひとりの女 それは泉が歌うようにきみに忍びこむ
  ……
                          (『未完の物語』)

 三十年後にうたわれた思い出は美しい。
(つづく)

<新日本新書『アラゴン』>

バラ
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