詩と詩人について──詩のかたちによる詩論の試み

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 詩と詩人について
           ──詩のかたちによる詩論の試み      大島博光

わたしは 蝶をとらえようとして
あてもなく夜のなかをさまよった

わたしは 蝶をとらえようとして
蝶のように蜘蛛の巣にひっかかった

わたしは 蝶をとらえようとして
林のなかの深い井戸に落っこちた

わたしは 蝶をとらえようとして
ようやく虫とり網に気がついた
いまだに 蝶はつかまらない
    *
わたしの意識のたたかいのひとつは
ペッシミスムを克服することだった
ペッシミスムではたたかえない
ペッシミスムでは歌えない

絶望した者こそが希望をみいだす
ペッシミストがオプティミストになる
    *
砂漠に砂金を探すような
詩人の孤独はもう終わった
    *
胸の底から こみあげてくるもの
口をついて 迸りでるもの

それが 詩となるとは限らない
いつも 歌となるとは限らない

だが それなしには 詩の核はない
それなしには 詩の力はない
    *
意識と無意識のあわいから
眠りと目覚めのあわいから
湧きでるものを書きとめよう

したたる水が谷川となって
いつか 谷間を流れるように
せせらぎとなって歌うように

ことばはことばを紡ぎだして
詩の糸となり しらべとなる
つぶやきは声となり 歌となる
    *
詩人にとっても大事なのは
形式にもこころくばること

砂や水のうえに書くよりは
花崗岩にきざみこむこと
    *
詩人の仕事もまた もろもろの
矛盾を解決することにある

美と真実を 春と冬を
夢と現実を 絶望と希望を

愛とたたかいを ひとつの詩に
とけあわせ うたいあげること
    *
世界が血を流しているとき
世界が涙しているとき

詩もひとり笑ってはいられない
ただ手をこまねいてはいられない
    *
この世には したたり落ちる血で
書かれたような 血まみれの詩がある

インキで書くより おのれの血で
書かねばならないような時がある
                 一九九六年十一月

(『稜線』1997年2月)

千曲川
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