大野英子さんにインタビュー(7)竹内てるよさんとの出会い

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(7)竹内てるよさんとの出会い──明かされた真相

 そして敗戦。
 戦後三十五年め、お会いしたのが詩人の竹内てるよさんでした。本庄に竹内てるよさんがいらして下さる、何となく講演を聞きに行っただけの私に、
「あなたは大野貞純さんの御遺族(ごいぞく)ですね」
と、話しかけられたのです。
 会場には大ぜいの人がいましたので、後日、竹内先生のお宅で、長い長いお話を伺いました。
「あなたのお兄さんは心中などでは有りません。時代の化け物『治安維持法』に押しつぶされたのです」……と。
 世界三大悪法の一つといわれる治安維持法、昭和八年二月四日。
(できるかぎり授業中の教室に踏み込み、子どもの面前で担任教師に手錠をかけろ)
という秘密司令のもと、信濃教育を潰滅(かいめつ)させた二・四事件。
 同じ二月半ば、小林多喜二・虐殺(ぎやくさつ)。同じ年の三月三日、東北津波救援者(きゅうえんしゃ)への弾圧。
 昭和八年に吹き荒れた治安維持法です。
 次に襲(おそ)われるのはプロレタリア文学、これはあきらかなことでした。
 貧しい学生や、若い下級労働者が仕事の合間に集まり、詩を書き、発表し合っていた小さい結社『新世紀』。主宰(しゅさい)をしていたのは若き日の竹内てるよさんでした。

 時代の化けもの 「治安維持法」、
 生殺与奪(せいさつよだつ)の権を持つ 「治安維持法」、
 目をつけられたら命は無いのです。
 裁判権無し、
 言い開きの機会無し、
 その場で極刑さしつかえ無し。
 推定、何万人かが消されたという「治安維持法」。
捕えられ拷問(ごうもん)のすえ殺されるよりはと集団自殺をしたのでした。
日本という国は自国の民にも加害者でした。

(『続・九十歳のつぶやき』──竹内てるよさんとの出会い)

 竹内てるよさんが本庄に講演に来た時、私はたまたま聞きに行ったんです。竹内さんは私の顔をみるなり、大野貞純さんのご遺族でしょうと当てました。まさに千里眼でした。(霊能者と言われているそうです)
竹内さんは犠牲者の遺族を訪ね歩いて半生を費やしました。私が最後の遺族だったんです。

<『新世紀』同人で犠牲になった方の名前はわかりませんか?>
 わかりません。竹内さんは話されませんでしたし、何も書いていません。『新世紀』も2号で終わりました。
竹内さんは警察に踏み込まれた時、結核で寝込んでいて検挙されなかったんです。もう先が長くないと思って、憐れんで小銭を置いていったそうです。


<「吉田隆子を知っていますか」(NHK Eテレ、2012年9月放映)の中で、治安維持法により投獄された人形劇団プークの女性が「取り調べ室には拷問され虐殺された小林多喜二の写真がたくさん貼ってあって、みせしめのように無言の圧力をうけた」と証言していました。あの写真は民衆を脅かし恐怖を与える為に使われていたんですね。>

多喜二
拷問のあとが生々しい多喜二の遺体(『文化評論』1976年4月)

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