大野英子さんにインタビュー(6)お弓婆さんのこと

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(6)お弓婆さんのこと

吾を背負い 働く姿を母親と信じていたる頃の幸せ

<お弓婆さんのことを母親だと思っていたと歌っていますが、実のお母様は??>
母親のことは思い出したくもない。子どもをいじめる人だったんです。
お弓さんはすぐ近所に住んでいました。7歳で色街に売られ、年季が明けても親元から呼ばれず、この土地に住みついた。どこの出だか一切言わなかった。本『続・九十歳のつぶやき』に書いてあるのは全部本当の話です。


お婆は娘を売った。
重なった米、味噌の借金、もうだれも貸して呉れない。
十三歳の娘を売るよりなかった。
一日一日を食っていく親のために、松世は売られた。
二度と産まれた土地には帰れない。
その夜、ぐうたら亭主は娘を売った金を全部持って姿を消した。
 
お婆は娘と亭主を一度に失い借金だけが残った。
お婆は町をうろつき、忙しそうな農家など見つけ、一日、半日とやとってもらい、駄賃に残飯をもらって帰るという日々だった。
どうにもならない時は歩いて本庄まで行き、松世にせびるよりなかった。
十三歳の松世に「すまねえ、すまねえ」と詫びながらようやく日々をしのいでいた。
松世の借金はかさむばかり。
松世は「めし盛り」のつとめの辛さに耐えかねて命を断った。十七歳だった。
お婆は知らせを聞いても葬式を出す力はなかった。
松世は花街のはずれにある「投げ込み寺」に埋められた。
桧世、すまねえ。
お婆はいつもいつも松世に詫びていた。
お婆は私をどんな思いで背負っていたのだろうか。
私はお婆に何一つ御礼を言わなかった。
この無償の愛に何一つ応えなかった。
(『続・九十歳のつぶやき』──花いちもんめ)

お弓婆さんは働きもので皆に重宝がられていました。母親から私を引き離すためにいつも私をおぶって働いてくれました。背負いながらいつも話をしてくれました。それなのに私は何も恩返しをしてあげられなかった……。

<7歳で色街に売られ、夫からも見捨てられ、貧困から花街に売った娘も自殺、その日の糧を求めて町をうろついたお弓さん。明治から大正の時代、貧しい人びとのなかでも最も悲惨な生活を送った女性ですね。しかし苦しい生活の中でも英子さんへの愛を惜しまなかったのですね。>

ニガナ
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