アラゴン──モロッコ戦争・入党(3)「精神のプロレタリア」

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「精神のプロレタリア」

 アラゴンはやがて決定的な段階を越える。精神の自律・独立という倣慢な個人主義的幻想のかわりに、思想および芸術は経済的社会的現実に従属するという明白な意識をもつにいたる。
 マルクスはドイツ哲学をドイツの歴史的現実に結びつけることによって、歴史的現実の諸関係を分析した。アラゴンもマルクスの道をたどることになる。
 アラゴンはこの新しい意識に立って、「精神のプロレタリア」という評論を一九二五年十一月の「クラルテ」誌に発表する。
 「精神は、自由のない世界では自由ではありえないだろう。精神の最初の義務は、精神の自由を保証する現実的諸条件を知ることであり、金銭崇拝の圧制とたたかうことである。アナーキズムはこの自由を保証するものではなく、その反対である。
 アナーキズムは階級闘争の根本的問題を理解しない。じっさい、すべてのファシズムの根源であり根拠であるアナーキズムは反革命である。それは可能な、もっとも偉大な革命から、革命的精神をそらせるからである」
 こうして彼は、ブルジョア体制下の矛盾を意識し、精神のプロレタリアとしての意識をもつようになる。それはまたブルジョア道徳とは相反するプロレタリア道徳を身につけることであり、それこそが彼をアナーキズムから救いだし、プロレタリア階級にぞくするという意識をはぐくむ。ここにはブルジョア知識人からプロレタリア知識人への移行が語られているのである。
 詩人ロベール・デスノスは「クラルテ」の同じ号に書く。
「〈クラルテ〉との会合以来、シュールレアリストたちが知ったことは、革命は社会的・経済的局面でのみ可能であり、いわゆる精神の革命なるものはじっさいにはブルジョア的感情表明にすぎないということだ。同じように彼らは、プロレタリア執政の原則だけがブルジョア体制をくつがえし、階級間の差別を廃止しうるものとして、それに同意する……」
 ここでデスノスは、「クラルテ」との会合、論争によって、どんなにシュールレアリストたちが革命や政治について啓発されたかを物語っている。
 一九二六年、シュールレアリストのピエル・ナヴィルは『革命と知識人たち』のなかで、「シュールレアリストたちは何を為しうるか」という問題を提起する。──シュールレアリストたちは精神的審美的領域に閉じこもりながら、ブルジョアジーに少しも打撃を与えることのないスキャンダルを重ねている。ナヴィルはこのジレンマに疑問を投げたのである。
 「物質的生活のブルジョア的諸条件の廃棄以前の、ある程度そこから独立した、精神の解放を信じるべきか。それとも反対に、物質的生活のブルジョア的諸条件の廃棄は、精神の解放にとって必要条件であるのか……」
 初めの態度──アナーキーな個人主義の態度に固執して、階級闘争の規律ただしい行動を拒否することは、口で革命的なことばを叫びながら、じっさいには革命的実践を放棄することである。
 もう一つの道だけが革命的である。つまりマルクス主義の道であって、それは精神の力を社会的現実に、資本にたいするプロレタリアートの闘争に堅く結びつけるものである。
 アラゴンはシュールレアリスムの根本的矛盾に気がつく。つまりシュールレアリスムは、人間の全的解放をもとめながら、この解放に役立つ諸条件をつくり出すのに無力だということである。この点に思いをめぐらして、一九二七年一月十六日、アラゴンは共産党へ入党することを決意する。
(つづく)

(新日本新書『アラゴン』)

しゃくなげ

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