アラゴン──モロッコ戦争・入党(1)

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 モロッコ戦争・入党

 一九二四年、アナトール・フランスがツールで死んだとき、シュールレアリストたちは文字どおり屍に鞭うって、『屍』というパンフレットを出した。アラゴンもそこに一文を発表する。
 「クラルテ」のジャン・プルニエは、一九二四年十一月十五日号の同誌にアラゴンのその一文を論評して「《こんにち、獏のモーラスと老いぼれ女のモスクワを同時に讃える文学者は……》とアラゴンは書いたが、それはまさしくいやらしいというよりむしろ滑稽で軽率な言動……」と言ってアラゴンを非難した。それにたいして、十二月一日号の「クラルテ」にアラゴンは反論を書く。
 「わたしがボルシェヴィキの政府および共産主義についてほとんど好みをもたなぃことを示した一文を、貴君はあやまちとしてよろこんで取りあげた……もしも貴君が、政治的精神におのれを閉ざしているわたしを──さらにはあの恥ずべき実用主義的(プラグマティック)態度にたいして敵対的なわたしをみいだしたとすれば……それはつねに、わたしが反抗の精神を政治の向うに位置づけてきたし、いまも位置づけているからである…‥ロシア革命にたいしてわたしが肩をすぼめる(軽蔑を示す)のを、貴君は妨げないだろう。理念の尺度でみれば、それはせいぜいとるに足らない政府的危機なのだ……人間的実存によって提起された諸問題は、この数年来、われわれの東方に出現している、小っぽけでみじめな革命的活動からはみ出ている……」
 この文章は、この時期のアラゴンがほとんど政治的に無知であり、ロシア革命の意義や本質について何も知らなかったことを物語っている。
 これにたいして「クラルテ」の編集者のひとりであるマルセル・フーリエは論評する。
 「……純粋なアナーキストのアラゴンは、意識的に文化領域に固執している。彼はブルジョア文化にたいして内側から闘う。彼は外部にいるブルジョア文化の敵と手を結ぶよりは、ブルジョアの陣営にとどまっていたいのだ……ロシア革命を前にして、アラゴンは、彼の階級の、思想穏健なほかのフランス人と同じように、聖なる恐怖を覚えるのである…」
 これに反論してアラゴンは答える。──「ロシア革命にたいする聖なる恐怖などは問題ではない。革命という際限のない大義を制限することをわたしは拒否する」と。
 この論争をとおして、この頃のアラゴンの思想的立場をはっきりと読みとることができる。それは退廃的なブルジョア文化とは闘おうとするが、それはまだアナーキーな個人主義の立場からであり、精神の反抗、詩的反抗にとどまっている。彼はそこで自由と永続革命とを混同している。ガローディの指摘するように、この精神の反抗と社会革命の反抗との共存こそが、シュールレアリスト・アラゴンの根本的な矛盾である。この矛盾の克服こそはアラゴンの発展の原動力となる。その機会は外部からやってくる。モロッコ戦争がそれである。
(つづく)

<新日本新書『アラゴン』>

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