パリのダダ──怒れる若者たち(中)

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 ここで、この戦争をくぐり抜けてきた若者たちの精神状態を一瞥しておこう。アラゴンは書いている。
 「わたしは、一九一四年に第一次世界大戦が勃発したとき、二十歳(はたち)にもならなかった世代にぞくしている。この世代の胸には、ある種の怒りが煮えたぎっていた。ほとんどすべての作家たちが、この戦争の法令に屈服し、みずからそれを正当化し、弁護するのを、われわれは見てきた……いわゆるこの《神聖同盟》の態度を、そしてそれを思想・創造の領域へ拡大することを、われわれは不名誉とみなしていた。わたしとしては、一九一六年以来、自分のなかに怒りを抱いていたように思う。いわゆる《戦勝》もこの怒りを消しさることはできなかった」(アラゴン『詩作品全集』第一巻序文)
 彼らは何よりもまず怒れる若者たちだった。同世代のなかで、もっとも輝かしい才能にめぐまれていた彼らが、しかし、もっとも深い怒りを抱いていたのである。この怒りから、反抗から、彼らは不条理の世界に、非常識の世界に夢をみいだそうとする。しかし、そこにはどんな出口もなかった。文学はぬかるみにはまっていた。さらに悪いことに、生活もまたぬかるみの苦境に引きずり込まれていた。第一次世界大戟の結果、階級闘争が尖鋭化していた。しかし彼らは、自分たちの置かれている状況を具体的に分析することができなかった。
 「われわれは情熱的で、純粋で、反抗的な大きな子供だった──われわれ自身にも世界にたいしてもきわめて要求の多い子供だった」(『共産主義的人間』第二巻)
 この大きな子どもたちのアナーキーな反抗は、一九一九年末トリスタン・ツアラがチュリッヒからたずさえてきたダダの運動を一挙にうけ入れることになる。ツアラはすでに戦争中の一九一六年に、反抗と否定と破壊を旗じるしとしたダダの運動を始めていた。
 のちにアラゴンはダダの時代について書く。
 「わたしをとり巻いていた世界にたいするわたしの反抗は、ダダのなかにごく自然に吐け口をみいだした。わたしが追求していた議論は、数世代の人びとが追求していた議論だった。この議論は作家と大衆を激しく対立させていた。一般大衆は敵だった……われわれは欲しようと欲しまいと、戦後の人間だった……しかしながら、われわれがダダからシュールレアリスムへともがいていたイデオロギーと矛盾の霧のなかで、わたしが意識をもつようになるには数年かかった……長いあいだ、この反抗はわたしにあってはアナーキーのかたちをとった」(『社会主義レアリスムのために』)
(つづく)

<新日本新書『アラゴン』>

アラゴン

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