アラゴンとランボオと

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 アラゴンとランボオと

 二十歳(はたち)のアラゴンの夢をとりわけ捉えていたのはランボオの夢だった。ランボオがアラゴンを捉えたのは、その自己解放の異常な酩酊である。一九一八年の春、彼が書いたエッセイのなかに、その証言を読みとることができる。
 「……とあるもの悲しい朝、ぼくは『イリュミナシオン』を開いた。すると、ひとを幻滅させる人生の風貌(かお)は消えうせた。海は交響楽のように家々のうえに盛りあがり、『大洪水』のあとにふたたび現われた世界のために、すばらしい花々が生まれた。……
 真の大天使たる彼は、超越的な空間の眩暈(めまい)のなかへわれわれをみちびく。寓話(アレゴリー)よ、おさらばだ!……すべてが共存し、ぼくはもうそこでは選択できない。ただひとつの宇宙的平面が、数世紀とかずかずの場所をぼくに見せてくれる。もはやぼくを制限するものは何もない。ついに自由だ……世界の創造主エホバが『創世記』をモーゼに書きとらせたように、『イリュミナシオン』の詩人ランボオは『地獄の季節』を書いた‥…」(「ランボオ」 ──アラゴン『詩作品全集』第二巻)
 アラゴンの最初の小説『アニセあるいはパノラマ・ロマン』(一九二一年)の冒頭では、アニセ(アラゴン自身の仮面)とアルチュール(ランボオ)とが互いに心情を吐露する。そしてアルチュールは若き詩人アニセに人生の神秘を明かし、手ほどきをする……。
 (この『アニセ』には同じようにイジドール・デュカス(ロートレアモン)も登場する。アラゴンとブルトンが出会った時、彼らが二人ともロートレアモンを発見していたことが、この出会いをすばらしいものにした。ロートレアモンの『マルドロールの歌』と『詩論』とはその反抗と熱情によって、彼らを魅了していた)
 ランボオの天才についての、この顛(ふる)えるような発見以来、アラゴンの脳裡にはランボオが去来する。一九四三年、ドイツ軍占領下の暗黒な時代に、アラゴンは「わたしはどんなに人間だったか、どんな人間になったかを明かすために」一種の告白を書いた。彼は自分の生存中にひとに読まれたくなかったのでそれを公表しなかった。それが一九八九年に『わたしはどんな人間だったかを明かすために』と題してガリマール社から刊行された。
 その七〇ページほどの小冊子のおよそ半分ほどは、ランボオをどのように読んだか、というよりむしろランボオをアラゴンはどのように生きたかを語っていて興味ぶかい。
 「……実を言えば、われわれの仲間はめいめい、家庭の環境に反抗し、われわれの少年時代の環境だった小ブルジョワジーから受けついだあの思想や動産、あの影響や風習に反抗し、ランボオのなかに、ランボオの模範のなかに、抑制なしに振舞う自由をみいだしていた。だから、ランボオはわれわれの仲間のひとりだった。われわれのように同じものに反逆した、われわれのような若者だった。一八七一年のコミューヌ敗北後の社会的状況と、一九二八年の第一次世界大戦の勝利後の社会的状況とは、ランボオとわれわれにとって、ひとの考えるほどにはちがっていなかった。ランボオのように、われわれも自分の家庭にたいする反抗を祖国の方に、社会の方に振り向けたのだ」
 ここからは、何よりもアラゴンのすぐれて実践的な態度を読みとることができる。彼はランボオを解釈せずに生きたのである。そして彼はランボオのなかに現代詩の原点をみいだす。
 「……このランボオは詩においてきわめてレアリストだった。彼はユゴーののち、詩のなかに日常の主題をもっとも遠くもちこんだ……ランボオとともに、近代社会の生産物が、近代の彪大な重荷が、『酔いどれ船』に積まれて、詩のなかに入ってくる。それは三十年後のアポリネールの時代、帝国主義の時代まで、全リリスムを捉えることになる。……ランボオのモダニスムの教訓は、その天才、その生涯、その詩を越えて、レアリスムの教訓である」(『社会主義レアリスムのために』)

(この項おわり)

<新日本新書『アラゴン』>

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