アラゴン──第一次世界大戦

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 第一次世界大戦

  一九一八年、アラゴンは歩兵第三五五連隊に軍医補として配属されて前線に出発する。

  ここは 射ちあいの場所だ
  ここには 車刑と殉教者たち……

  ……そしてわたしは見た 大きく口をひらいた墓穴のようなワーヴルを わたしは見た
  あざ笑う骸骨のうえで顎(あご)をもぎとられたシャンパーニュを 怖るべきパトロール隊がうろつくアルゴンヌの森を ソンムの砂地を泥炭を そしてシュマン・デ・ダムの長いでこぼこ道を あの虐殺の鋭い稜線を……
             (『未完の物語』)

 ここには、第一次世界大戦における有名な激戦地の名と戦争の凄惨さが描かれている。とりわけ、シュマン・デ・ダムは、パリの北東エーヌ県の山の尾根を走る、登ったり下ったりの「長いでこぼこ道」で、一九一八年、ドイツ軍がシャトー・チェリーに向って突破作戦をとったときの激戦がここで行なわれた。
 一九一八年八月、アラゴンは功績によって「軍功賞」を与えられる。
 このときアラゴンがランボオのポケット版の詩集を持っていたことを、彼はのちに書いている。
 「わたしは軍隊へ行くとき、黄色い表紙の『イリュミナシオン』と『地獄の季節』の二冊のたいへん便利な小冊子を持って行った。それは『メルキュール・ド・フランス』のポケット版だった。この二冊は戦線におけるわたしの愛読書であり、隠れ家であり、復讐であった……」
 アラゴンがランボオの登場する小説『アニセ』を書く計画を立てたのもこの戦線においてである。
 それから彼は、第二五戦車隊、ついで第二九戦車隊に配属されて、ザールとラインランド地方の占領に参加する。

  空は 灰色の雲に蔽われていた
  雁が 列をつくって飛んでいた
  河岸の家並のうえを 渡りながら
  雁の群は 死の叫びをあげていた
  わたしは窓から それを見ていた
  そしてわたしは 聞いたような気がした
  あの ライナ・マリア・リルケの悲歌を
                      (『未完の物語』)

 ザール地方のザールブリュッケンの占領中、アラゴンは初めて労働者のストライキを目撃する。その思い出を、彼はのちに小説『聖週間』(一九五八年)のなかに書いている。
 「わたしは二十二歳だったか、まだならなかった。というのは、それは一九一九年の春か冬の終りで、ザールブリュッケンの近くであった。近くの炭坑でストライキが起った。わたしの部隊の猟歩兵が見張りについていた……わたしは炭坑の入口、竪坑、トロッコ、エレベーターを思い出す。もう夜だった……わたしはフランスでも、それまで炭坑を見たことはなかった。労働者たち……それはそれまでのわたしには関心の的にならなかったのだ……そこには、たがいに肩や裸の腕を隙間もなく堅く組み合った、生身の人間たちがいた。……その夜、正しかったのは彼らだった。彼らの抵抗は、人間のなかには偉大で高貴なものがあるということを示していた……その夜はわたしの運命に重い影をおとしたような気がした……」
 フランス軍がラインランドを占領していたとき、アラゴンは友人のテオドル・フランケン博士と再会する。一九一九年六月、動員解除になると、二人はドイツやベルギーを旅行してまわる。そのあいだにも『アニセ』が書きつづけられる……。

(この項おわり)

<新日本新書『アラゴン』>

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