『アラゴン』 序にかえて(下)

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 さて、一九六〇年代の東欧では、政治や文化の面で非スターリン化が実現し、本来の科学的社会主義が復元されるものと信じられていた。しかしそれはむなしい期待・幻想にすぎなかった。一九六八年八月、社会主義大国による覇権主義的逸脱と犯罪は、ソ連など五カ国軍のチェコスロバキア侵入へとさらにエスカレートする。このブレジネフによる覇権主義的逸脱と犯罪にたいして、アラゴンはひきつづきたたかいつづける。彼は自分の編集する「レットル・フランセーズ」紙に声明を発表する。
 「外国の軍隊によって侵入されたチェコスロヴァキアの不幸を、われわれは激しい痛みをもって思いやる。われわれは侵入者にたいする勇敢な闘争によって死の苦しみをなめているチェコスロヴァキアの友人たちとともに生きている。彼らは、何よりも民主主義の本質的な要素をなす、あらゆる形式による表現の自由、新聞出版の完全な自由を彼らの国から奪いとろうとするあらゆる試みにたいして勇敢に闘っているのである……」
 このようなスターリンとブレジネフの逸脱と犯罪は、アラゴンに苦渋・絶望をあたえ、だんだんペシミストにする。一九六六年に書かれた「ネルーダへの悲歌」のなかからも、このペシミストのひびきを聞きとることができる。

  あるのはただ苦しみの世界 血まみれの世界ばかり
  どんなに遠く行っても 何んにも変りはしない

  空の高みに 白みかける朝を見たと思ったら
  それは 遠くの自動車(くるま)のヘッドライトなのだ

  もう闇のなかを おのれの膝もわからぬほど歩いたのに
   来るべき世界には まだ辿りつけぬ

  わが友パブロよ なんとわれらは耐えてきたことか
  影は われらの前に伸びる 長く伸びる……

 このようにスターリン・ブレジネフの逸脱と犯罪にたいして、なお社会主義・共産主義を擁護しつづけようとしたアラゴンは、深い苦渋・絶望を抱きながら、その精神状況をつぎのようにも書く。                                                                   
 「私という人間は……一生をつうじて或る幾つかのことを絶望的に信じた人々、また溺れかけている泳ぎ手のような、だが両腕の最後の力をふりしばって、十中八、九助からないと分かっていても、何とかして助けだしたいと思う子供を頭上たかく持ちあげつづけている泳ぎ手のような人々、そうした人々のカテゴリーに属しているのである」(稲田三吉訳)
 また、『エルザの狂人』(一九六三年)のなかにはつぎのような詩句がある。

  たとえ 相も変らず牢獄や車刑にあう肉体があり
  相も変らず 虐殺が偶像によって正当化され
  死体のうえには あの言葉のマントが投げかけられ
  口には猿ぐつわ 手には釘がうちこまれようと

  だがいつか来るだろう オレンジ色をした日が
  額に月桂冠をいただく 勝利の日が来るだろう
  銃を肩から下して 人びとの愛し合う日が来るだろう
  小鳥が いちばん高い梢(こずえ)でさえずり歌うような日が……

「虐殺が偶像によって正当化され……」と書いたとき、アラゴンは恐らくヒットラーよりはむしろスターリンを念頭においていたであろう。そうして怖るべきこの一行は我々に、一九八九年六月の中国・天安門広場における虐殺を思い出させずにはおかないだろう。しかしその絶望と苦悩を越えて、「いちばん高い梢でさえずりうたう小鳥」のように、詩人は歌ったのである。

  だがいつか来るだろう オレンジ色をした日が

 こう歌ったアラゴンの希望の背後には、「重要なことは、マルクス主義(科学的社会主義=著者)への復元である」と語った、その思想的確信があったことを忘れてはならない。そこに変えるべき生があり、変革すべき世界があるかぎり、詩人は希望をかかげつづけたのである。
 こんにち、東欧におけるスターリン・ブレジネフ型社会体制の混迷・崩壊に乗じて、社会主義・共産主義の理念にたいする攻撃が熾烈をきわめているとき、アラゴンのこの思想的確信と希望は、彼が我々にのこした偉大な教訓のひとつであるようにわたしは思う。

  一九九〇年十月

<新日本新書『アラゴン』>
アラゴン表紙
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