『アラゴン』 序にかえて(上)

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 序にかえて

 こんど、アラゴンの評伝を書くにあたり、あらためてその生涯をたどってみて、わたしがとりわけ感じたことのひとつは、社会主義におけるスターリンおよびブレジネフの逸脱と犯罪にたいして、アラゴンがいかに苦悩にみちた反省と批判を加え、さらにこれとたたかったかということである。
 とりわけアラゴンは、一九六八年のチェコスロバキアにおける民主化改革「プラハの春」を支持し、戦車によってこれをふみにじったものたちを非難し、声をあげてこれとたたかった。
 一九八九年に始まった、東欧の社会主義諸国における激動ほどに、歴史の弁証法的展開、その平坦でない歩みを劇的に示しているものはない。そして一九八九年秋以来のチェコスロバキアにおける「プラハの春」の再現はとりわけ象徴的である。アラゴンが生きていたなら、「プラハの春」の再来にどんな感慨を抱いたことだろう。
 もともとソ連など五カ国軍のチェコ侵入に反対したアラゴンの闘争は、スターリンの逸脱と犯罪にたいする闘争の延長線上にあった。
 一九五六年二月、ソヴエト共産党第二十回大会におけるフルシチョフ報告は、初めてスターリンの逸脱と犯罪を公然と告発した。この報告はフランスじゅうに、とりわけ左翼の知識人たちに前例のない衝撃を与えた。なかでもスターリンを信頼して活動してきたアラゴンにとって、それは深刻な打撃、動揺、苦悩、絶望を与えずにはおかなかった。

  千九百五十六年がやってきた 瞼に突きつけられた匕首のように
  きみがいなかったら わたしはただ石を投げつけられる男でしかなかったろう
                              (『未完の物語』)

 アラゴンは、「スターリン時代の悲劇」がひとたび暴露されると、それは自分にはかかわりのないことだと考えるような人びとにはぞくさなかった。かれはこの問題を自分の傷口として受けとめ、「責任の精神」をもって反省し、批判する。一九六三年、アラゴンはガローディの著書への序文でスターリンの逸脱と犯罪にたいしてはっきりと理論的な批判を加える。
「……マルクス主義はすべての人びとに語りかける。科学的仮定としての賭けから語りかける。したがってこの賭を危うくするような誤りは人類にたいする犯罪の色合いをもつ。本来、マルクス主義のなかには、逸脱や犯罪の席はないし、あってはならない。それはマルクス主義の否認であり、裏切りであり、背反である。重要なことはマルクス主義の修正ではなく、反対にマルクス主義の復元である……」
 この最後の部分は、我々の言葉でいえば、科学的社会主義を堅持するということである。
(つづく)

<新日本新書『アラゴン』>

アラゴン

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