きみが地獄の岩に

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 きみが地獄の岩に 
                    大島博光

きみが地獄の岩にくくりつけられて一年六ヶ月
きみは生きながら地獄におちたエウリュディケ

運命はきみを生ま殺しになぶり殺そうというのか
いつはてるともない 長い長い残酷な責苦・拷問

きみは 生と死のあわいのうすら闇のなか
きみは 声とならぬ叫びと暗い暗い眠りのなか

しかし わたしもまたあのオルフェウスのように
きみを 地獄から連れて帰ることはできない

わたしは井戸に落ちるように 不幸に落ちた
きみの不幸は そのままわたしの不幸なのだ

不幸は わたしをなめしむしばみ傷めつける
不幸は わたしの扉を揺すり軋らせ呻かせる

不幸は わたしの眼を夢を理性をうばいさる
不幸は わたしを自然よりも小さな人間に変える

おお 不幸にひび割れた鏡よ ゆがんだ鏡よ
孤独に狂いわめき孤独を憎む男がそこに映る

わたしの手のなかには もう何んにもないのだ
わたしの腕のなかには もうだれもいないのだ

わたしももう 失うものとては鎖しかもたず
明日の日を夢みるしかない人びとのひとりなのだ

    *

オレンジ色の わたしの夕映えの空を引き裂いて
いきなり稲妻が走り 嵐が襲って来ようとは

もう擢も波にもぎとられた難破船だ わたしは
甲板のうえには 瀕死の美女をひとり乗せて

もやい綱の切れた酔いどれ船だ わたしは
星も映らない夜の河を海へとさまよいくだる

暗い夕空の糸の切れたはぐれ凧だ わたしは
きりきり舞いして闇へ落ちてゆくだけだ あとは

生きそこね死にそこねて まるで亡霊のように
冬の街をよろよろよろめきながらさまよいながら

わたしは待っているのだ 最後の幕が降りるのを
この苦しみの舞台から おのれの消えさるのを

もうすぐに 黒ぐろとした長い夜がやってくる
もう明けることのない 永遠の夜がやってくる

    *

ひとは言う 冬の日の嘆きや絶望にのめりこむな
青空の日を忘れて 雪や雹ばかりを言いふらすな

ひとは言う きみは泣き虫だ ペッシミストだ
おのれの痛みばかりを泣きわめく エゴイストだ

ひとは言う たくさんの星が落ち空が移って
世界の歴史の歯車が音を立てて廻っているとき

もっと大きな不幸や悪と 血みどろに闘っている
雄々しいたくさんの人びとを思ってもみたまえ

おのれひとりの不幸ばかりにうちひしがれて
どうして大きな死や不幸とたたかえるだろうか

かつて きみが声も高くうたってみせた あの
「鳩の歌」や未来の歌は どこに行ったのか

あれは 夏の日に鳴りひびいた夏の歌だった
あれはもう風に消えた口笛だ とでもいうのか

ひとは言う おのれの内部ばかりを覗きこんで
むらがる悪夢を描いたとて 何んになるだろう

そうだ そのとおりだ われもまたふるいたち
ひとをもまたはげますことこそ 詩人の任務だ

不幸のどん底からさえ 反抗者のように立ち上れ
きみが倒れたら ほかの人びとがあとを継ぐだろう

若木が伸び ヒコバエも芽ばえてくるだろう
新しい風が吹いて 生は死に勝利するだろう

               一九九〇年八月

(詩集『冬の歌』1991年)

雪の博光
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