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キャフェ・オー・レから始まる朝

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キャフェ・オー・レから始まる朝
尾池和子

夏の朝早く、下連雀の大島家の中庭には朝靄が明け切らず、その薄明かりの中で、花も金魚もまだ眠っているようです。
夏休みの間、朝食の支度に伺うことがありました。
庭に面した掃き出し窓から居間へ入ると、家の中はしんとして、古い本の香りがします。時にはご家族の持って来られた百合の花の香りが部屋中にひろがっていることもありました。
朝刊をお持ちして「はい、お願い」の掛け声で朝食の支度にとりかかりますが、とっくに起きられて食卓で詩を書いていらっしゃることもありました。昨夜から詩が浮かんで眠れず、朝を待ちかねるように起きて詩を書き留めるといったことも珍しいことではなかったように記憶しています。
朝食はバゲットを薄く切って冷凍にしてある袋の中から二切れ、バタを溶かしたフライパンで焼くとトースターで焼くよりずっと柔らかな口あたりになります。
ミルクパンに冷蔵庫に作り置きしてあるコーヒー(コロンビアとブルーマウンテンの豆二種をひいてドリップし、ワインの空き瓶に入れてある)とミルクを合わせ、ふきこぼれる寸前まで沸騰させ、縁が水色で小花模様のあるイギリス製のマグカップ一杯に注ぎます。台所がバタやコーヒー・・・博光氏は「キャフェ」とおっしゃっていましたが、ミルクの匂いで満たされる頃起きていらして食卓につかれます。半熟卵、カマンベールチーズをひと切れ、果物を小皿に少々、特製ジュース、これらが並ぶと朝食の支度の出来上がりです。特製ジュースはりんごのすりおろし、緑の野菜、市販のりんごジュースなどをミキサーにかけてどろっとしたら、ガラスのポットに入れて数日間飲めるよう保存してあるものです。

一日の始まり、あるいはいつでも何かするときは、「精神なんかじゃない、食べ物だ」と、食べ物からエネルギーが湧いてくると考えられていたので、一食一食を大切にされ、これは蛋白質、これはビタミンになると毎日の献立を考えていらっしゃいました。「昔は(静江夫人が生きていらした頃)ブルーチーズを食べていたよ」とおっしゃる博光氏でしたが、「ここまで来るまではミゼール(惨め)だったよ」と結婚後の苦労された頃のことも忘れてはいらっしゃいませんでした。

りんごの花ほころび 川面に霞立ち 君なき里にも春はしのびよりぬ・・・博光記念館が千曲川のほとり、りんごの里にあると思うとき浮かぶのが、博光氏が好まれたロシア民謡のひとつ「カチューシャ」です。幼いときに遊んだ千曲川のそば、博光氏亡き松代の里に季節が巡ります。「わたしは一九一○年生まれ」とおっしゃっていたので、来年は生誕百年という年になりますが、一日一日食べ物に気を配られていたのは、食いしん坊というだけでなく、ひとを励まし希望を投げかける詩を書き続けたいという思いからだったのではないでしょうか。九十五年の生涯の大半を費やし、成されたそれらの詩を次の世代にどう引き継いで行くかが、記念館の大きな仕事のひとつと思います。
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