「クロス・ワードの時代」

ここでは、「「クロス・ワードの時代」」 に関する記事を紹介しています。
 また十月には、エルザの手紙や口づてのニュースや、新聞、ラジオなどで、きのうまでの同志たちが、党をうらぎり、党の大業を捨てさったことを、アラゴンは知る。そして「クロス・ワードの時代」のなかで、「わたしは彼らの同類ではない」と書く。

  ……
  多くの雲が 灰色の秘密を陽にさらけ出したとか
  黒い木木が 踊り出したとか そんなことを
  どうしてわたしが耳にしたり 考えたりするのだろう

  わたしは彼らの同類ではない 人間の肉は
  菓子のように ナイフで断ち切れるものではないから
  わたしの命には 兄弟の血の温(ぬく)みが必要なのだ
  そうして川を 海から逆流させることはできないのだ

  わたしが見守ってやる 夜が更けた 中世の夜が
  黒いマントで 砕けたこの世界を蔽うている
  きっとわれらのためでなくとも いつか嵐は止んで
  またクロス・ワードを楽しむ時代がくるだろう


 「灰色の秘密を陽にさらけ出した」雲や、「踊り出した黒い木木」──党をうらぎったものたちにたいして、詩人は「わたしは彼らの同類ではない」と叫びながら、党の大業を守ることの人間的な美しさをそれに対置している。
 この詩は、一九三九年十二月一日、コメディ・フランセーズにおいてマドレーヌ・ルノーによって朗読され、聴衆に大きな感動を与えた。とりわけ最後の一節は、呼びかけのラッパのように鳴りひびいた、とサドゥールは書いている。当時フランスでは、クロス・ワード・パズルさえも、スパイたちに利用されるという理由で禁止されていたことを思えば、「クロス・ワードの時代がくるだろう」はいっそう深いひびきをもってくるのである。
 アラゴンはその頃の精神状況をこう語っている。
 「一九三九年九月、『断腸詩集』の最初のいくつかの詩をわたしに書かせたあの決意がどのようにして生まれたか、一種の冷静な決断、一種の絶望への激しい恐怖、くらやみにうち負かされまいとする意志からあの決意が生まれたのを、わたしははっきりと思い出す。……わたしが偉大とみなし、美とみなし、善とみなし、純粋とみなしたすべてが、怖るべき虚偽の泥にまみれたあの暗黒の時期に……あれらの詩を書かなかったら、堅持する自分の信念を吐露しなかったら、わたしは生き残れなかっただろう」(『共産主義的人間』1)
 これらの詩は、知識人向けの『新フランス評論(エヌ・エル・エフ)』のわくを越えて、ひろい読者に読まれる。それらはコピイされたり、読者の記憶から記憶へと口づてに伝えられたりして、ひとびとに希望の暗号(しるし)をつたえる。アラゴンは詩の密輸に成功したのである。

<新日本新書『アラゴン』──2 もし もう一度行けとなら……>

アラゴン写真

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