アラゴン「二十年後」

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 さて一九三九年、『新フランス評論』十二月号に掲載されたアラゴンの詩は、青天の霹靂のような感動を読者にあたえた。エルザとの最初の別離の寂しさ、祖国や同志たちのはてしない混乱は、詩人としての長い沈黙をかれに破らせて、かつてない斬新で美しい詩を書かせたのである。「二十年後」「夕ぐれにきみの手紙を待つ」「クロス・ワードの時代」の三編で、のちに『断腸詩集』の冒頭を飾ることになる。この詩集の扉にはまた「わが心臓の鼓動のひとつひとつをエルザヘ」という献辞がしるされる。

 二十年後(抄) 

 人影もない空家をぬって おれたちはさまよう
 鎖もつけず白衣もなく ものも想わず声もなく
 まるで ま昼の化け物だ 昼ひなかの亡霊だ
 恋をささやいていた 娑婆からやってきた幽霊だ

 おれたちはまた二十年後に 忘れていた物置部屋から
 おれたちの古服をとり出し 千のラチュドたちが
 独房の中で またも昔の仕ぐさを始めるのだ
 そんなことは彼らには どうでもいいらしい

 愛するひとはただひとり とても美しい優しいひと
 かの女だけが 焦茶色の十月のように浮びあがる
 かの女だけが おれの恋人 おれの苦しみと希望なのだ
 かの女の手紙を待ちながら おれは日を数えるのだ
 ……


 一九三九年の終りに書かれた『断腸詩集』の詩の美しさと、そこに秘められた微妙な響きを理解するには、当時の状況とこれらの詩を照らしあわせてみなければならない。
 「……千のラチュドたちが/独房の中で またも昔の仕ぐさを始めるのだ」という詩句の暗示しているものを、セゲールスはみごとに解読する。ラチュド(一五九〇〜一六五三)はポムパドール夫人にたいする陰謀のかどで、バスチーユなどに投獄されるが、数回にわたって脱獄する、伝説的な人物である。
 「ラチュド? 大衆的な伝説とほのめかしの手法によって、一種の密輸が一九三九年以来、こっそりとここに登場することになるが、ラチュドは……ポムパドール夫人に送った爆薬箱、爆弾を仕かけた小包のかどで、裁判抜きで投獄三十五年の刑。有名な三回の脱獄、だがアラゴンはどんな囚人たち、どんな脱獄について語っているのか。この一九三九年の冬の初め、フランスで、投獄されたどんな囚人たちが、独房のなかで夢のような計画を立てるのだろう?」(セゲールス『レジスタンスとその詩人たち』)
 この問いにたいする答えは、投獄された共産党員たちであり、「千のラチュド」とは党に忠実な党員たちにほかならない。ここでアラゴンは、彼のように、一九一九年の第一次世界大戦に動員され、二十年後の一九三九年にまた動員された人たちについて語っていると同時に、千のラチュドたち──サンテやその他の牢獄に投げこまれている同志たちに想いを馳せているのである。
(つづく)

<新日本新書『アラゴン』──2 もし もう一度行けとなら……>

アラゴン
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