ネルーダとアラゴン(下)

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 しかし一九三四年に詩集『ウラル万歳!』を書いていたアラゴンは、ある意味では、すでにレジスタンスの詩を先取りしていたといえよう。たとえば、この詩集に収められている「ナディジンスクで死んだ二十七人のパルチザンのバラード」のような詩は、ひろい大衆性をもった抵抗詩の模範となっている。

  二十七人の パルチザンは
  ひとり またひとり 首くくられた
  兵士も 労働者も 農民もいた
  いちばん若いのは 十四歳だった

  最後の息に 身をふるわせても
  祈りなどは つぶやかなかった
  おお おまえたち 死者製造人どもよ
  だが おまえたちは 強くはないのだ

  もう おまえたちの剣のうえに
  早くも血が 錆びついている
  墓場が おまえたちを待っている
  弾丸が(たま) おまえたちを夢みている           .
                 (角川書店『アラゴン詩集』一六ページ)

 これらの詩句は、もっとも悲惨な一九四二年頃の抵抗詩とも思えるほどである。
 のちに(一九五四年)、アラゴンは第二回ソヴェト作家大会において、こう発言している。
 「世界大戦の前夜である一九三九年に、フランス詩の諸問題が解決されたことは、ナチス占領軍に刃向ったわが抵抗運動の戦士たちに、詩による支持と援助をあたえ、そしてこの詩は幾千幾万の愛国者を立ちあがらせて彼らの隊列にくわわらせたのである……」
 つまりこのことは、アラゴンが詩集『ウラル万歳!』以来、新しいレアリスム詩の実践的追求および理論的追求をつづけていたのであり、たんに抵抗詩の問題としてでなく、「フランスにおけるレアリスム詩の諸問題」として追求し、そして解決していたことを示している。
(この項おわり)

<『レジスタンスと詩人たち』白石書店 1981年>

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