<老いの高さをうたう>
わたしは宇宙を歌う 人間を歌う
(「年の始めの詩」)
フイ・カーンは、小宇宙から大宇宙まで、日常から歴史までを、素朴にしかし知性をもって歌っている。そのことによって、かれは宇宙的(コスミック)な大きさを獲得すると同時に、普遍を手にしている。
ここには、この詩人が到達した老いの高みの清澄(セレンテ)がある。
友らよ わたしの糸はすでに伸びた
軽やかに 細く 強く
もう どんな虫にも悔恨にも蝕まれない
もう どんな裏切りにも脅かされない
(「蚕は死ぬまで」)
詩人は老いのおとろえを嘆くどころか、反対に、老いの強さ・高さをうたいあげている。そこから、意味ぶかく美しい一行が紡ぎだされる。
あけぼのの糸で わたしは目覚めを織ろう
これは、詩の奇跡と言っていいような一行である。これは、未来を見据えた詩人の精神の高さ、信条の美しさそのものにほかならない。
*
フイ・カーンの積極的で晴れやかな老年の詩はわたしを深く感動させた。ともすれば、おのれひとりの老いの苦しみにかかずらい、我を見うしないがちになるわたしを、それは力強くはげましてくれた。この詩集をわたしに訳出させたのは、この感動であり、そこからわたしははげましをうけとった。わたしは訳出に没入した、おのれの老いを忘れ、死を忘れて……
一九九七年八月
大島博光
(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
わたしは宇宙を歌う 人間を歌う
(「年の始めの詩」)
フイ・カーンは、小宇宙から大宇宙まで、日常から歴史までを、素朴にしかし知性をもって歌っている。そのことによって、かれは宇宙的(コスミック)な大きさを獲得すると同時に、普遍を手にしている。
ここには、この詩人が到達した老いの高みの清澄(セレンテ)がある。
友らよ わたしの糸はすでに伸びた
軽やかに 細く 強く
もう どんな虫にも悔恨にも蝕まれない
もう どんな裏切りにも脅かされない
(「蚕は死ぬまで」)
詩人は老いのおとろえを嘆くどころか、反対に、老いの強さ・高さをうたいあげている。そこから、意味ぶかく美しい一行が紡ぎだされる。
あけぼのの糸で わたしは目覚めを織ろう
これは、詩の奇跡と言っていいような一行である。これは、未来を見据えた詩人の精神の高さ、信条の美しさそのものにほかならない。
*
フイ・カーンの積極的で晴れやかな老年の詩はわたしを深く感動させた。ともすれば、おのれひとりの老いの苦しみにかかずらい、我を見うしないがちになるわたしを、それは力強くはげましてくれた。この詩集をわたしに訳出させたのは、この感動であり、そこからわたしははげましをうけとった。わたしは訳出に没入した、おのれの老いを忘れ、死を忘れて……
一九九七年八月
大島博光
(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
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