フイ・カーン詩集『東海の潮』あとがき(4)ピラミッドとの対話

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<ピラミッドとの対話>

 「ピラミッドとの対話」は、いわば生と死との対話をとおして、壮大なスケールで生への賛歌をかなでている。
 はてしない砂漠にそびえるピラミッド──その内部に眠るファラオたちの「永遠の死」……はてしない時間と空間のなかに横たわる死のイメージを、詩人はピラミッドをして壮大に語らせている。

 ──わたしの内部には 皇帝のミイラが横たわった
 そしてわたしの足もとには
 千万の民草たちが死んで崩おれた
 目もくらむような「時間」にうち勝つために
 硬直した皇帝は石の眠りのなかに閉じこもった
 生涯 皇帝は最後の眠りのために心を砕いた
 かれは死神を抱きしめて
 くる日もくる日も死神にうち勝とうとした
 だが、皇帝は深い石の眠りをつづけている
 たくさんの仲間のピラミッドたちは
 地平線をひき裂いて 崩れ落ち
 皇帝たちの乾いたミイラたちを
 永遠の外に投げ出し 晒している
 そうしてわたしは感じるのだ 「時間」が
 わたしの巨大な石の四つ足を 寒さで凍えさせるのを

 ファラオたちは、生涯「石の眠り」のために心をくだき、「永遠の死」に備えるために、ピラミッドを建造した。ファラオたちの「石の眠り」を守り、賛えるために、ピラミッドは高く高く積みあげられた。そのために千万の人民がピラミッドの足もとに崩れおれて死んでいった。しかし、ファラオたちの「石の眠り」も「永遠の死」も、目もくらむような「時間」にうち勝つことはできなかった。ピラミッドそのものが崩れたのだ。そうして死だけが支配しているかに見えた。だが、そのときピラミッドは見たのだ。

 突風や嵐のなかで
 「生」になろうとする「死」を わたしは見た……
 希望を叫ぶ砂の声を わたしは聞いた……
 石のうえにも 砂のうえにも
 芽を出そうとする生を わたしは見た

 死の守り手であるピラミッドが、石や砂のうえにも「芽を出そうとする」生を見たのは、ひとり詩人の想像や願望だけによるものではない。詩人はそこに、現実発展の法則でもある、生と死の弁証法を見ているのである。「希望を叫ぶ砂の声」は生きようとする人民の叫びにほかならない。そうしてそれは現実となる。

 青い夕ぐれ はてしない砂漠のはじで
 早なりのとうもろこしがさわさわと揺れて
 花をひらいている
 涼しさの溢れる大運河の岸べに……

 これが 詩人とピラミッドとの対話の結語である。──生は死にうち勝つだろう。
 生の詩人フイ・カーンの詩にみられるヒュマニスムは、その青年時代に深い影響をうけた西欧文化とむすびついているが、また古いべトナム文化の伝統にもむすびついている。このヒュマニスムの傾向はかれをますますべトナム人民へと近づかせる。

 ほんとうなのか おんみら 苦行の途上で
 地上の煩悩の衣を 脱ぎ捨てようとして
 最後にもう一度 身をよじり身をふるわせ
 普通の凡人のように 苦しむというのは
               (「タイフォン寺の羅漢たち」)

 詩人はまた、安すらかに眠ることのできない死者たちの声を聞く。

 ……地下に横たわる死者たちが
 こころ安らかに 眠れずに
 長い眠りから むっくと起きあがって
 鎮まらぬ心のたけを 吹きよこすのか
              (「夜の風」)

 ここでかれは、遠いむかし中国の侵略軍と戦って倒れた死者たちや、べトナム戦争で殺された死者たちの「鎮まらぬ心」の叫びに耳傾けているのであろう。
(つづく)

(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
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