<ある塚のほとりに座って>
さらに、この詩人の死生観を読みとることのできる恰好の詩に「ある塚のほとりに座って」がある。
ある塚のほとりに座って わたしはつぶやく
「大地よ いつかわたしはおまえのところへ還ってゆくだろう
わたしの人間生活はおまえの樹液でみちていた
わたしが死ぬだろうとき それは悦びのなかにあろう」
おお 愛する人生よ ある日わたしは出てゆくだろう
ねがわくばその日が 燃えるような夏の日の
ま昼でありたいものだ
そうすればわたしは納得するだろう
出てゆくのは終りではないと
そしてわたしはなつかしい大地のなかに横たわるだろう
やがて季節を変える 熟れた種子のように
死も「悦びのなかにあろう」──死ぬのは「終わりではない」──おのれの死について、だれがこのようなことばを口にしたろう?そうして死んでもなお「季節を変える 熟れた種子」でありたいと詩人は夢みる。この未来への信頼には終りがないだろう。他者のために生きた者は、他者のなかに生きつづけるだろう。これらの詩句の肯定、この積極性はわたしを圧倒する。おのれのつとめを果たし、おのれの生を完全に生きたという自信をもつ者の、楽天主義の勝利がここにある。
それは死にうち勝った生の歌にほかならない。
(つづく)
(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
さらに、この詩人の死生観を読みとることのできる恰好の詩に「ある塚のほとりに座って」がある。
ある塚のほとりに座って わたしはつぶやく
「大地よ いつかわたしはおまえのところへ還ってゆくだろう
わたしの人間生活はおまえの樹液でみちていた
わたしが死ぬだろうとき それは悦びのなかにあろう」
おお 愛する人生よ ある日わたしは出てゆくだろう
ねがわくばその日が 燃えるような夏の日の
ま昼でありたいものだ
そうすればわたしは納得するだろう
出てゆくのは終りではないと
そしてわたしはなつかしい大地のなかに横たわるだろう
やがて季節を変える 熟れた種子のように
死も「悦びのなかにあろう」──死ぬのは「終わりではない」──おのれの死について、だれがこのようなことばを口にしたろう?そうして死んでもなお「季節を変える 熟れた種子」でありたいと詩人は夢みる。この未来への信頼には終りがないだろう。他者のために生きた者は、他者のなかに生きつづけるだろう。これらの詩句の肯定、この積極性はわたしを圧倒する。おのれのつとめを果たし、おのれの生を完全に生きたという自信をもつ者の、楽天主義の勝利がここにある。
それは死にうち勝った生の歌にほかならない。
(つづく)
(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
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