フイ・カーン詩集『東海の潮』あとがき(3)ある塚のほとりに座って

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<ある塚のほとりに座って>

 さらに、この詩人の死生観を読みとることのできる恰好の詩に「ある塚のほとりに座って」がある。

 ある塚のほとりに座って わたしはつぶやく
 「大地よ いつかわたしはおまえのところへ還ってゆくだろう
 わたしの人間生活はおまえの樹液でみちていた
 わたしが死ぬだろうとき それは悦びのなかにあろう」

 おお 愛する人生よ ある日わたしは出てゆくだろう
 ねがわくばその日が 燃えるような夏の日の
 ま昼でありたいものだ
 そうすればわたしは納得するだろう
 出てゆくのは終りではないと
 そしてわたしはなつかしい大地のなかに横たわるだろう
 やがて季節を変える 熟れた種子のように

 死も「悦びのなかにあろう」──死ぬのは「終わりではない」──おのれの死について、だれがこのようなことばを口にしたろう?そうして死んでもなお「季節を変える 熟れた種子」でありたいと詩人は夢みる。この未来への信頼には終りがないだろう。他者のために生きた者は、他者のなかに生きつづけるだろう。これらの詩句の肯定、この積極性はわたしを圧倒する。おのれのつとめを果たし、おのれの生を完全に生きたという自信をもつ者の、楽天主義の勝利がここにある。
 それは死にうち勝った生の歌にほかならない。
(つづく)

(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
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