タイフォン寺の いならぶ 羅漢たちよ
おんみらの子孫は しあわせをめざして船出する
わたしはもういちど おんみらをじっと見つめる
彫像の手で 霧や闇や煙りを払いのけるおんみらを
おお おんみらの苦しみはまたわたしらのもの
おんみらの足どりは 森の迷路に迷いこんだが
永い時代のなかを通りぬけてきて おんみらは
いまわたしらといっしょに行くのだ 春をめざして
強大なアメリカ侵略軍から民族を解放するきびしい戦いのなかで、新しい革命詩人は、遠いむかしの圧制とたたかって苦しんだ死者たち、祖先たちをも喚び出し、解放をめざしていっしょに行こうと呼びかけるのである。
<火と塩と>
この春ごろ、フイ・カーンの詩集『東海の潮』Mareés de la Mer Orientaleが、Paul Schneiderの仏訳によってフランスで刊行された。なつかしいフイ・カーンの仏訳詩集を、わたしはさっそく取り寄せて読んでみた。
フイ・カーンは一九一九年の生まれであるから、彼もすでに老境にある。その老年の想いを死や死後についての想いを、彼もまた詩のなかに繰り返えし書いている。それも、死への恐れや悲しみや不安などを感じさせない、きわめて積極的な態度で、達観したような高い境地で書いているのである。そこには、個人的な死の感傷に耽るというところはみじんもない。
このところ、わたしも老いの歌を書いてきたが、老いの嘆きに崩れおれるような傾きがあって、わたしはそれを克服しようともがいていた。フイ・カーンの力強い老年の詩は、そういうわたしを感動させ、すがすがしい励ましとなった。
「火と塩と」では、こう書かれている。
老年になって わたしに残ったごく僅かな火で
わたしは つつましい松明(たいまつ)をつくろう
煙草を吸う農夫のキセルに火をつけるために
マッチのないひとびとのかまどのために
そして愛するすべを学んでいる若者たちのために
……
おお 友らよ わたしがきみらと別れるその時には
どうか ささやかな松明といくらかの塩粒をもって
わたしのお伴をしてくれたまえ
火と塩とは わたしの心を慰めてくれよう
詩人は、老いの身に残った「僅かな火」を、ひとびとの役に立てようとかきたてている。そこに、他者に対するやさしい、ひろい詩人のこころを見ることができる。そうして「別れ」のときにも、自分の人生にとってもっとも大事なものだった「火と塩と」をもって送ってほしいと頼んでいる。この希いのなかには、「死は終わりではない」というこの詩人のつよい想いがある。それは生への執着というような個人的な感情とは無縁のものであろう。
また、「ひとはめいめいそっと秘めている」という詩のなかでも、塩に託してつぎのように書かれている。
わたしは 風とともに消え去るだろう
わたしは 月とともに消え去るだろう
だが わたしの生の潮水はふたたび戻ってきて
塩田の塩とともに結晶するだろう
ここにも、死んでもなお地の塩でありたいという詩人の精神をよみとることができる。
(つづく)
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