フイ・カーン詩集『東海の潮』あとがき(1)

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 あとがき

 ベトナムの詩人フイ・カーンは、わたしにとってなつかしい詩人である。
 およそ三〇年前、ベトナム戦争が激烈であった頃、わたしは『ベトナム詩集』(一九六七年飯塚書店)を訳出したことがある。その詩華集のなかに、トー・フーやスオン・ジウにまじって、まだ若かったフイ・カーンの「タイフォン寺の羅漢たち」という詩があった。それは、ベトナム・ソイタイ省の名刹タイフォン寺の羅漢像たちを見た詩人が、その多様な東洋的な苦悶の表情をとおして、ベトナムの苦悶とたたかいを歌いあげた傑作であった。それはわたしを感動させた。そうしてフイ・カーンはわたしには忘れられない、なつかしい詩人となったのだ。
 タイフォン寺の羅漢たちを訪れた詩人は、「なぜ、おんみらの顔には苦悶の皺が刻まれているのか」という問いから、羅漢たちの苦悶──解脱をめざして永い修業と苦行を重ねた高僧たちの苦悶を追求してゆく。

 ある者は 眼をかっと見ひらき 眉を斜みにひそめ
 くちびるは苦悩にやつれ 魂はかさかさに乾き
 その額には 輪廻の皺の波が浮きあがり
 神経は顛え 手はねじれ 動脈は燃えたっている

 またある者は 母親の胎のなかの胎児のように
 手足を折り曲げて ちぢこまって座っている
 そして 膝のうえにまで垂れさがった長い耳は
 悲惨な人生のすすり泣きにいまも聞き入っている

 そのめいめいの恐るべき風貌 おんみらの顔は
 苦しみにゆがんで 空の下に 燃え立っている
 おお 手をわなわなとふるわせた 奇妙な集団
 血と汗のような 涙を流している坐像たちよ

 ここには、羅漢像たちの表情が、さまざまな人間的な苦悶の表情として、「悲惨な人生のすすり泣き」に聞き入っているものとして描かれている。それらの苦悶の表情は、フイ・カーンの註にもあるように、それらの羅漢像が彫られた十八世紀のベトナムの苦悶そのものの反映と見なすことができよう。

「わがベトナム史上、一八世紀は困難な時代で、封建的停滞から抜けでる道を見つけだせずに、国はいつ果てるとも分らぬ社会的動乱のなかにもがいていた。」

 もがき苦しんでいたのは羅漢たちだけではなく、むしろベトナムの人民であった。こうして羅漢たちをとおして、詩人はそこにおのれの祖先を見いだす。

 ……これら 風と嵐のなかの魂たち
 これら すべての生の秘められた責苦はみな
 わたしらの祖先のもの その骨その血ではないか
 不幸に苦しめられた 祖先の生そのものではないのか
 おんみら 腹わたの煮えくりかえる思いで苦しんだ
 その時代 生活は八方ふさがりで足ぶみをしていた
 おんみらの胸に萌えでた希望は すべてみな
 陽のあたらぬつぼみのように しおれ果てた

 圧政に苦しむ農民たちが蜂起して、封建制にたいする闘争は絶えなかった。
ひとびとは「封建的停滞から抜けでる道」を探しもとめ、苦しみに顔をゆがめて「大いなる問い」を発する。

 かがんだ顔 かしげた顔 振り向いた顔が
 四方八方にむかって 大いなる問いを発している
 しかし おんみらの問いにだれも答えない
 断末魔の苦悶の色を浮かべた おんみらの顔

 おんみらは 出口と解決を探しもとめたが
 永い永いくらやみがおんみらの足どりを狂わせた
 おお いならぶ羅漢たち おんみらの額のうえには
 まだ 過去の濃い霧が立ちこめているようだ

 しかし、羅漢たちの大いなる問いに対して「だれも答えない」。十八世紀という時代は、その問いに対してまだ答えることができなかった。ベトナム人民が人民解放の道、民族解放の道をみいだすには、二〇世紀を待たなければならなかった。二〇世紀、ホー・チ・ミンの指導によるベトナム共産党の誕生を待たなければならなかった。そうして新しい侵略者にたいする驚異的な民族解放の戦いが始まる。
(つづく)

フイ・カーン詩集『東海の潮』
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