アラゴンの『詩法』にふれて

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 アラゴンの『詩法』にふれて
 
    ──新しい歌の高鳴りについて           大島博光

 『フランスの起床喇叭』の序文のなかで、アラゴンはヒュマニズムと革命的愛国主義にみちみちた一瞥を、祖国フランスとその民族史のうえに投げたのち、つぎのように書いている。
 「これが故国だつたと、ただ口さきで言つたり、大馨で否定したりしたひとびとから、誰が故国を考ええたろう? 祖国への冒涜や権謀術数などによつて、誰があの祖国と呼ばれるずつしりと重い意識に近ずくことができたろう? 突風が吹き起つて、もろもろの思想を枯葉のように吹きとばし、硬ばつた仮面をむしりとり、ついに長いあいだ隠されていた殉難者の素顔をそこに見出すようなとき、誰が祖国の呼び声をききとらぬばならなかつたか……
 さていまや、すべては思い出でも傳説でもなかった。苦難の底から、ふたたび栄光が──諸君の呼びたい名まえでいえば、あの太陽が、あの酒が、立ち現れた。……栄光は肉と血をもつ人間より成り、ひとびとのさなかさなかに立ち上る。かくてひとびとの眼のまえに、忘れられていた巨人たちが立ち現れたのだ。……異国の歩哨が見張つている停車場のなかへ、リュクサクを背負い、鋲のついた頑丈な靴をはいた若者たちがはいつてゆく。……夜、怪しい血の痕が光りに鈍く照らされていた。ひとの住まない家々が増えていつた。……
 それはまさに百鬼夜行であつた。……百千の冒険の時代であつた。脅迫と恐怖を秘めないような影とてはひとつもなく、むごたらしい場面を照らし出さないような光りとては、ひとつもなかつた。……だがいたるところ、大膽不敵なひとびとが立ち上つた。殉難やヒロイズムのなかに、突如として身を投げいれたひとびとのうちのひとりとして、祖国の労働者のひとりとして、その運命のまえに身じろぎもしなかつた、身を退きもしなかつた。普通平凡なフランス人がヘラクレスになつた。……わが祖国の砂を染めた血の痕を見たら、オツサの山にぺリオンの山を積み重ねた巨人たちも顔色を変えたにちがいない……
 そのとき、われわれはわれわれの流儀で、馨低く歌つた。そつとつぶやかれた繰返しが、口から口へ伝えられた。とある街の歩道で通行人がふと吹き鳴らす、心に泌みる歌をきくと、こんどは諸君が行きちがいの男に、知らず知らずにその歌を伝え、その男はその歌をまた遠くへ運んでゆく。
 われらの歌は変えられ、つけ加えられて、大きくふくれあがつた。民衆は何んという無限のこだまを秘めていることか、何んという神秘を! われらの歌は歌うともなく唇にのぼつてきた。わが國は、断崖にうち寄せるときの海のように、港の前で揺れる船のように、低く深くどよもした。わが國は世界の歌そのものとなつた。──すべての希望と絶望とを要約し、しかも自然と人間そのものを克服しようとする人間の意志でふくれあがつた音楽となつた。わが国は光りの射す方へと辿り、あけぼのを予感し、あけぼのは闘いであり、血と涙こそがあけぼのの蒼白い光りを輝かせるのだということを知つていた。歌うわが国は光りに近ずきつつあつた!
 そのときだ、フランスの起床喇叭が鳴りひびいたのは。」

 ナチの嵐にむかつて、嵐のなかで、フランスの詩人と民衆がどのように歌つたかが、この短かい文章からもよくうかがえると思う。「そつとつぶやかれたルフラン」、口から口へ伝えられた歌、「歌うわが國……」──これらの言葉は、たんに当時の状勢を詩的に物語るために使われているのではなく、詩人も民衆も、じつさいに「歌」をつくりだし、歌によつてひとびとが励まされ、結びつけられ、立ち上つたことを示している。そうしてアラゴンはみずから、この「歌」をつくりだすために、古い十二綴音格や、八脚音格や、中世的伝統の十綴音格の定型を、全く新しく磨き直し、新しい脚韻を試み、フランスの詩的伝統のシュルレアリストが、祖国フランスとその民族解放の時代に、「自由詩の専制」よりは「定型の自由」を選び、自由詩における「行別にする或る種のしかたは、人間にとつて、その帽子やズボンの皺ほどにも根本的だとは思われない。」と言つている。
 彼は『詩法』という詩のなかでも、言葉や脚韻についてつぎのように歌つている。

  「五月」の死者たち わが友らのために
  いまよりは ただ 彼らのために

  わたしの詩韻が あの武器のうえに
  流される涙のような魅力をもつてくれるように


  そうして吹く風とともに変る
  生けるひとびとのために

  わたしの詩韻が 死者たちの名において
  悔恨の白い刃を研ぎすましてくれるように

  絡みあう言葉たち 傷ついた言葉たち
  そこで罪人が叫びだすような詩韻

  言葉は 詩韻は 悲劇のさなかで
  水をうつ櫓のように二重の響きを奏でる

  平凡な言葉よ 詩韻よ 雨のように
  かがやく窓硝子のように

  ふと行きずりに見る鏡のように
  胴着のなかの萎れた花のように

  輪を廻して遊ぶ子供たちのように
  小川のなかにきらめく月のように

  戸棚のなかのねなしかずらのように
  思い出のなかのひとつの匂いのように

  詩韻よ 詩韻よ そこにわたしは
  高鳴る赤い血のぬくみを聴く

  思い出させてくれ われらもまた
  ひとびとのように猛々しいのだと

  そうしてわれらの心の崩折れるとき
  忘却からわれらを呼び覺ましてくれ

  虚ろな火屋が音立てる
  消えたランプに火を點してくれ

  わたしは歌う いつもいつまでも
  「五月」の死者たち わが友らのなかで

 ナチの嵐と悲劇のさなかにおいて、歌う武器としての詩について、その言葉と韻について、このようにうつくしく歌われた詩は、またそのまま偉大な「五月」の死者たちに捧げられているのであり、いな、「五月」の死者たちの英雄的な死とそのはげましと思い出のゆえにこそ、詩人はいよいよ「悔恨の白い刃を研ぎすます」ために、その詩法を磨くのである。
 この「五月」は、抵抗の英雄ポリッツェ、ドクウル、サロモン等がモン・ヴァレリアンで仆れたあの一九四二年の怖るべき五月を意味している。もつとも、詩人は敵の眼をくらますために、大戦初期における一九四〇年五月の死者たちとも受けとれるように書いており、さらにまた一八七一年のパリ・コンミュンの五月をもふくめているわけである。ここに、歴史的事實にたいする、ふくみに富んだ詩的表現の問題がある。

(『角笛』1号 1950.9)

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