ジャン・カッスーの獄中詩(1)

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 ジャン・カッスーの獄中詩

 パリ・コミューヌを描いた小説『パリの虐殺』(新日本出版社)の作者としてわが国でも知られているジャン・カッスーもまた、レジスタンスに参加して活動した。
 一九四一年四月、カッスーは人類博物館グループの活動に協力するため、非合法に境界線(占領地帯と非占領地帯との境界線)を越えて、南仏トゥールーズに潜入し、そこで南部地帯における最初の知識人抵抗組織をつくった。そうした活動をつづけるうち、一九四一年十二月十三日、カッスーはヴィシーの警察に逮捕され、トゥールーズのフュルゴール軍事刑務所の独房にぶちこまれた。
 この軍事刑務所の独房で、かれは予審裁判までの三ヶ月を過すことになる。牢獄には鉛筆も紙も本もない。読むことも書くことも禁じられていた。そこでカッスーは、気分をまぎらわすために、頭のなかで想を練って、ソネットをつくることに没頭する。頭のなかでつくりあげたソネットを、つぎには暗記する。そうやって繰り返すうちにソネットはさらに練りあげられた……
 そうして独房生活の三ヶ月後、ほんの短い期間ではあるが、カッスーは釈放される。裁判を待つ、その短い期間に、かれは頭のなかでつくって暗記していたソネットを、急いで紙のうえに書きうつし、その原稿に『独房で書かれた三三のソネット』という題名をつけた。原稿は「深夜叢書」出版所へ送られた。この原稿を読んだポール・エリュアールは、それらのソネットが「書かれた」ものではなく「作られた」ものであることを指摘して、その題名を『独房で作られた三三のソネット』と変えた。この詩集は一九四四年の初め、「怒れるフランス人」(アラゴンの匿名)の序文をつけ、ジャン・ノワールの偽名のもとに非合法に出版された。
 「三三のソネット」の一番めのソネットは投獄された最初の夜に生まれた、とカッスーじしんが述懐している。その日はカッス一にとってきわめてきびしいものだった。ヴィシーの官憲はこのレジスタンスの活動家にたいして怖るべき訊問を行った。そこでかれは拷問者にたいしてひたすら受け身の態度をとることにした。
 「わたしは心のなかでつぶやいた──これからはもう、自分は一個の桶であり、荷物であり、外科医の手荒い手術をうけるひとりの患者なのだ。苦しみを打ち明ける友人もいない。──夜、独房にほうり込まれるとわたしは服もぬがずに、藁布団のうえに横たわった。もう運命もきわまった、というやりきれぬ想いで……」
(つづく)

<『レジスタンスと詩人たち』>

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