世界の共産党員物語 パブロ・ネルーダ(上)─1

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世界の共産党員物語

──パブロ・ネルーダ(上)

森の子として

 チリの生んだノーベル賞詩人パブロ・ネルーダはまた、きわめて波瀾に富んだ生涯を送った偉大な共産党員詩人でした。とりわけ彼はその生涯で二つのファシズムに出会います。一つはスペインのフランコのファシズムであり、もう一つは祖国チリにおけるピノチェットのファシズムです。それらは彼の運命にとって決定的なものとなるのです。          
 パプロ・ネルトダー本名ネフタリ・リカルド・レイエスは一九〇四年四月、チリ中部のパラルに生まれました。まもなく一家はチリ南部の森のなかの小さな町テムコに移り、彼はそこで森の子として少年時代を過します。深い森の大自然は、少年の彼をすでに詩人として育てることになります。
 父親は鉄道員で、敷設列車の列車長でした。
 父親が部下を連れて家に帰ってきた時の光景を彼は思い出して書いています。

 とつぜん 扉がばたばたと揺れて
 鉄道の強者(つわもの)どもを引きつれて
 おやじが帰ってきた   
 しゃがれ声が 食堂にあふれた
 酒瓶は みるまに空っぽになり
 すすり泣きや 暗い愚痴や
 一文なしの男たちの声など
 鋼(はがね)のように鋭い 貧乏の爪あとが
 おれのところまで聞こえてくるのだ
 まるで心配や苦労ばかりが住んでいる
 離れ小島からのように
        (『大いなる歌』)

 少年のネルーダが眼にし耳にしたのは、労働者たちの現実の生活でした。砂利を投げるスコップの音であり、貧乏を嘆く愚痴の声でした。いわば彼は生まれながらにして労働者たちの世界から出てきたのです。
 一九ニー年、十七歳のネルーダはサンチアゴの大学に入学してフランス語を学ぶかたわら、フランス象徴派やモダニズムの詩人たちに熱中します。

外交官として各国へ

 第一次大戦後のラテン・アメリカでは、以前のヨーロッパ資本にかわって、アメリカ帝国主義・独占資本の影がますます重くのしかかっていました。アメリカ独占資本と結びついた、ひとにぎりの特権グループ・大地主たちの支配と収奪のために、人民の生活は苦しく悲惨なものとなっていたのです。そのような現実は、ラテン・アメリカ一円に独立と解放をめざした闘争をよび起こさずにはいなかったのです。
 学生のネルーダも、フランスの社会主義者たちの著作を翻訳したり、組合運動に参加します。フランス共産党で始まったパルビュスの「クラルテ運動」──社会主義的ヒュマニズムをかかげた「クラルテ運動」は、チリの学生たちのなかにも影響と共鳴を呼び起こして、そのチリ版である「クラリーダ」(光明)が発刊され、ネルーダもそれに協力して詩を発表します。しかし思想的には、彼はまだアナーキズムに近いところで足踏みしています。
 一九二七年、かねてから外国へ行きたいと思っていたネルーダは、外交官になってビルマのラングーンをふりだしに、カルカッタ、マドラス、コロンボをまわります。その数年のあいだに、詩集『地上の住みか』(一九三三年)を書いて、詩人としての名声を高めます。
 一九三四年、ネルーダは総領事としてマドリードに赴任します。そこで、ロルカ、アルベルティ、エルナンデスなど、若いスペインの詩人たちとの交友が始まります。
(つづく)

<『月間学習』1987年9月号>
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