サラエボ 憎悪を拒否する

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 サラエボ 憎悪を拒否する
                          スアダ・トゾ・ワルドマン 大島博光訳

 二千年来、ボスニアの地は、東西の諸文明がぶつかり合い、重なり合い、補い合ってきたところである。
 他の国ぐにの、しばしば覗き趣味の冷淡な眼からみれば、ボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビヤのファシズムとクロアティアのファシズムのあいだにはさまれて、その二年来、懸命に生きのびてきた。そこの都市(まち)まちは包囲され爆撃されているが、幾人かの作家たちは執筆と出版をつづけている。しかし、紙の不足から、僅かな作家だけが自国での出版に漕ぎつけるだけで、多くの作家は国外で自分の作品を出版している。
 戦争はボスニアの作家詩人たちの書き方、表現手法を変えた。彼らの言葉、表現はより直接的なものとなり、よりジャーナリスティックなものになった。それは非常時の文学である。
 この極限状況では、ナルシシズムや芸術至上主義はもはや市民権をもたない。といっても、表現スタイルの問題が二義的になったというわけではない。反対に、この問題はいつにもまして決定的なものである。
 ものを書く者はもはや何らかの技巧によって自分を欺いたり、読者を欺いたりすることはできない。けれども、文学が極めて単純な表現に還元されることは、文学の貧困化ではない。逆説的にいえば文学が話し言葉に近づくために、それまでの遊離したジャンルとして消滅しようとするときこそ、文学は豊かになるのだ。要は、もっとも適格な、もっとも精確な仕方で事態を表現することである。
 ゴラン・シミックの『サラエボの悲しみ』のなかの言葉を聞こう。
 「わたしは相変らずサラエボで暮らしている。ここでは、いま生きている現在も、過去を生きていることを意味する。未来を語ることは、ここでは創造力をかきたてる。白い原稿用紙がわたしの唯一の祖国である。わたしのペンがわたしの宗教である。たとえ、わたしがしばしばペンの代りに銃を執ろうと思ったとしても。
 われわれは依然としてサラエボで暮らしている。爆弾による死が自然死と呼ばれ、自然死が異常とみなされる都市(まち)では、そこで暮らしていることもーつの特権なのだ。この本はこういう状況から生まれた。それは、わたしの素朴な欲求で書きこむことにした詩的情景でひとを不快にする。わたしは形式を探し求めなかった。形式がわたしを見いだした。この本は一つの報告である。」
 美学的領域で真実であるものは、また倫理的領域においても真実である。表現において粉飾を棄(す)てさることは、普遍を望む思想体系や言説を放棄することにも通じる。倫理的要求はいっそう厳しいのである。それは、自分の前で起きたことを述べる的確な言葉を見つけ出し、証言し、報告することである。
 それはまた、芸術のための芸術やイデオロギーを同じく否定する自由の文学を意味する。とりわけ、それは憎悪に奉仕することを拒否する。それは何より、描くよりはむしろ凝視し、創作するよりはむしろ報告しようとする文学である。
 ここに紹介する作家たちのテーマは本質的には都会的である。牧歌的光景からはほど遠い。民族的起源のための不健康な幻惑からはほど遠い。民族的審美主義の戦闘的な「リバイバル」や過去への礼讃からはほど遠い。
 ひとつの事件が、サラエポの住民、とりわけ作家たちにたいへんな衝撃を与えた。ボスニア・ヘルツェゴビナの国立大学図書館の火災焼失がそれである。国立図書館は、一九九二年八月、セルビア砲兵隊の砲撃によって焼失した。図書館が保有していたサラエボの「古書」、有名なVijecnicaを焼き棄てろという命令は、シェークスピアの研究家で「丘の野獣ども」に加担した、サラエボ大学の英文学教授によってくだされた。図書館はボスニア・ヘルツェゴビナのすべての共同体の集団的記憶の保管所であった。したがって、この野蛮な行為は戦争の本質であり、人間たちの狂気のきわめて確かな特徴であると言うことができる。
 ところで、ヨーロッパの(恐らく世界の)全歴史は、あらゆる種類の野蛮にたいする絶えざる闘争の歴史である。その意味で、ここに紹介されるボスニアの作家たちは、悪の宣伝家に抗する善の擁護者たちのひとりに数えられる。かれらのテックストは、文化、知性、寛容の精神にいらだつやからに抵抗するひとつの手段である。

(『民主文学』1996年7月号)
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