エリュアール「八月のさなかに」

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エリュアール「八月のさなかに」

  一九四二年の終り頃、信じられないような情勢が生まれた。ドイツ軍の最初の敗北が、アフリカ北部キレナイカ地方で始まった。ロンメルの敗退である。
 他方、スターリングラードでは、ドイツ軍第六軍団が、ソヴェト赤軍による逆包囲作載の結果、一九四三年二月三日、ついに降服し、これをさかいに、すべての戦線でドイツ軍の後退、敗走が始まる。敗走するドイツ軍は「オラドゥールの悲劇」のような虐殺を行った。一九四四年六月、連合軍がノルマンディに上陸。ついに八月二十一日、パリは解放される。エリュアールは解放の日の歓喜を「八月のさなかに」に書く。

 八月のさなか、柔かい色をした月曜の夕ぐれ
 新鮮な卵のように明るいパリの
 雲に吊りさげられた月曜のタぐれ
 八月のさなか バリケードのわが祖国
 誇らかな眼をしたバリ
 ついに勝利を叫ぶパリ
 ……
 八月のさなか おれたちは冬を忘れていた
 勝利者の礼儀を忘れるように
 悲惨と死への大いなる挨拶を忘れるように
 恥辱を忘れるように おれたちは冬を忘れていた
             (『ドイツ軍の集合地で』)

 解放とともに、エリュアールは世界的な栄光につつまれる。彼の抵抗詩は世界じゅうで読まれ翻訳される。彼はフランス共産党の栄光にみちた活動家となり、アラゴンとともに国民詩人となる。

<「エリュアール・ノート(12)」『民主文学』1988年7月号>
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