エリュアール・ノート (13)『道徳の教え』・ギリシャ・平和の顔(中)

ここでは、「エリュアール・ノート (13)『道徳の教え』・ギリシャ・平和の顔(中)」 に関する記事を紹介しています。
  この『道徳の教え』は、さらに詩人の実践によって補足される。一九四九年六月、エリュアールは秘密の道をとおってギリシャに行き、グラモス山で英雄的に闘うパルチザンたちを訪ねる。エリュアールは一九四六年と一九四九年の二回にわたってギリシャを訪れ、マケドニヤの山獄地帯、グラモス山の根拠地にパルチザン部隊を見舞っている。英軍と米軍の干渉によって、革命をふみにじられたギリシャ人民の悲劇をまのあたりにし、闘うパルチザンたちと生活を共にする。平和活動家イヴ・ファルジュはそのときのエピソードを書いている。

 「ある日彼は、戦争で息子や孫たちを失くしたという二人の老婦人を両腕にかかえた。どうしてそういうことになったのか、わたしには分らない.エリュアールはものも言わずに歩いた。二人の婦人は、彼女たちの肩をかかえていた彼の腕のなかに因われて、彼と歩調を合わせていた。それはまるで、不幸のうえに突然落ちてきた、この上ない優しさのようであった。恐らくこのとき、彼は『未亡人と母たちの祈り』を作ったのにちがいない……」(『ウーロップ』誌一九六二年十一・十二月号)
 その『未亡人と母たちの祈り』はつぎのようなものである。

 わたしらはわたしらの手を一つにしました
 わたしらの眼はわけもなく微笑んでいました
 
 どうか 武器でもって 血でもって
 ファシズムからわたしらを解放してください

 わたしらは光を揺りかごでゆすって育てました
 わたしらの乳房は乳でふくらんでいました

 わたしらにも銃を握らせてください
 ファシストどもを撃ち殺すために
 
 わたしらは泉であり流れでした
 海になることを夢みていました

 ファシストどもをゆるしてはおかない
 手だてをどうかわたしらにください
 
 やつらの数はわたしらの死者より少いのです
 わたしらの死者たちはだれも殺さなかったのです

 わたしらは愛し合っていました 人生について
 考えることもなく 何ひとつ分らずに

 わたしらにも銃を握らせてください
 そうすればわたしらも死と闘って死にましょう
          (『ギリシャわが理性の薔薇』)

 一九四九年六月、エリュアールはギリシャ訪問から帰国すると、9月にはメキシコを訪れる。そこでひらかれる平和世界大会に出席するためである。
 この平和会議のなかで、詩人はもう一度あのレジスタンスの夜の時代を思い出して、「未来の人びと」に語りかける。「わが時代の人間たちの大きな気がかり」という詩がそこで書かれる。

 どうか分かってくれ給え よく考えてほしいのだ
 すべてはそんなに生まやさしくも陽気でもなかった
 ……
 未来の人びとよ 昨日を振り返って見る必要がある
 わたしは語ろう 春を知らずに死んだ死者たちを

 未来の人びとよ わたしは語ろう きょうを
 わたしは現在のなかにいる それを納得してほしい
 わたしは生きてる人びとの大群衆のなかにいる
 ……
 もちろん そこには襤褸(ぼろ)を着た人たちがおり
 廃墟があり いばらがあり 幻滅があった
 ……
 われわれは愛した われらの英雄たち殉難者たちを
 ……
 その人たちは貧困悲惨を拒否した
 古い武器でひとを殺す貧困悲惨を
 その人たちには戦争は子供のない女のように見えた

 太陽の下で大地の上で その人たちは願った
 人びとが兄弟となり 泉から泉へとつながる
 その人たちのはっきりした感覚は夜明けを予感していた
          (「すべてを言うことができる」)

 ここでエリュアールは平和大会のさなかにふさわしく、「その人たちには戦争は子供のない女のように見えた」と、うたって、ふたたび戦争、死、孤独を拒否している。

(つづく)
<『民主文学』1988年8月号>
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/2243-1b885007
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック