エリュアール・ノート (13)『道徳の教え』・ギリシャ・平和の顔(上)

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エリュアール・ノート (13)
『道徳の教え』・ギリシャ・平和の顔
                          大島博光

 一九四八年の夏、原爆反対の最初の世界平和大会が、ポーランドのプレスロオでひらかれた。エリュアールはピカソといっし上にこの大会に参加する。この大会から世界の平和運動が生まれ、ピカソの鳩がその象徴となる。
 一九四八年はまた詩集『道徳(モラル)の教え』が書かれた年である。この詩集に収められた詩はどれも「悪に」「善に」という二つの側面をもち、ペッシミスムにたいして楽天主義が対置されるという構成をもつ。エリュアールはこの発想をロートレアモンの『詩論』のなかから汲みとる。
 「善は悪にたいする勝利であり、悪の否定である。もしもひとが善を歌うなら、この妥当な行為によって悪は排除される……」
 エリュアールは青年時代からロートレアモンの『詩論』の思想、言葉の重要性につよい関心を抱き、これを指針としてきた。「詩は実践的真理を目的としなければならぬ」というロートレアモンの言葉は、『政治詩集』のなかの一つの詩の題名として使われている。
 『道徳の教え』の序文に詩人は書く。
 「悪は善に変えられねばならない……わたしは否定し根絶したかった、あらゆる病気や悲惨の黒い太陽を、塩辛い夜を、あらゆる影と偶然の下水溜を、目もあてられぬ光景、盲目の世界、破壊、乾いた血、墓などを。
 たとえわたしが全生涯で、希望のほんの一瞬をもつにすぎなかったとしても、わたしはこの闘いに挑むだろう。たとえこの闘いにわたしが敗れるかも知れぬとしても。なぜなら、ほかの人びとが勝利するだろうから。
 すべてのほかの人びとが。」
 この詩集では、どの詩も悪から善へと書き変えられて、最後の「すべては救われた」という詩にいたる。この詩ではペッシミスムが正面から描かれる。

 すべては破壊される おれは前もって破滅を見る
 鼠が屋根のうえにいて 小鳥が穴倉にいる
 くちびるは本の中で もう唸り声もあげない
 すべての絵が逆さまになり 重なりあい
 思い出と証言は いっしょに曇りかすんでゆく

 老人が揺籠(ゆりかご)のそばにつまらぬ人形のように横たわり
 子供がひとり歯車仕掛のかけらを噛っている
 墓地の窪みでは ひとりの死者が抵抗した

 ……
 冬に生まれたおれには すべてがネガティフに見える
 おれは死ぬために生まれ すべてがおれとともに死ぬ

 このぺッシミスムにたいする反歌、「すべてのほかの人びと」のオプティミイスムによる反歌はこう歌われる。

 何も破壊されはしない すべては救われる そうおれたちは願う
 おれたちは未来にいる おれたちは約束だ
 見よ 明日がきょう地上を支配しているのを

(つづく)

<『民主文学』1988年8月号>

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