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風刺詩について (アラゴン「いかさまのペてん師ども」解説)

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風刺詩について
              (アラゴン「いかさまのペてん師ども」解説)

 こんどのロッキード疑獄事件は、日本支配層の怖るべき腐敗ぶりを、全世界のまえにさらけ出しました。そして広汎な国民のあいだから、かつてない怒りの声、憤激の叫びがあがり、それは連日のように新聞の投書欄を埋めています。また国民の怒りは、詩、川柳、狂歌、落首、落語、かえ歌、あるいは慢画など、いろいろな形式をとおして表現され、「黒いピーナツを喰った政府高官」にたいする痛感な風刺を生みだしています。まさに、「風刺の季節」といわれるゆえんです。この風刺という武器によって、さらに痛烈に事件の本質をあばきだし、「黒い政府高官」の正体を白日のもとにひきずり出したいものです。詩における風刺といえば、去年亡くなった壷井繁治の「頭の中の兵隊」「勲章」などのすぐれた風刺詩を思い出さずにはいられません。あの特高政治がのさばっていた暗黒の時代に、これらの詩は、日本の軍国主義・ファシズムの狂気、その非人間性を忘れがたいイメージをとおしてみごとに批判し、嘲笑しているのです。いまこそこの伝統をうけつぎ、発展させる時です。
 ところで、こんどのロッキード疑獄事件はいくつもの重大な問題を、あらためて露わにしました。そのひとつに戦争責任追及の問題があります。ひろく知られるように、日本における戦争責任の追及は、連合国による軍事裁判と、アメリカ占領軍による公職追放とによって処理されてしまいました。こうしてA級戦犯──れっきとしたファシストどもが戦後の日本に堂堂と帰り咲いたばかりでなく、そのあるものは総理大臣ともなり、そのあるものはわが国の政権を左石するほどの黒幕となり、こんどの疑獄の主役をも演じているのです。こうしてみると、ロッキード疑獄という黒い霧のなかに、ファシズムの影が黒ぐろとうごめいているのを見てとらずにはいられません。まして、チリのアジェンデ人民政府を謀略と暴力によって打ち倒したのはアメリカの多国籍企業I・T・TとC・I・Aであることが暴露されたこんにち、ロッキード疑獄の暗い奥にも、国際ファシズムの影がまつわりついているにちがいありません。そしてわたしはあらためて、フランスの歴史家マックス・ポル・フーシェが、一九七四年、レジスタンスにふれて書いた文章を思い出さずにはいられません。
 「……レジスタンスは、歴史にぞくするものでもなければ、すぎさった過去のものでもなければ、消えさったものでもない。……ヒットラーの、ムッソリーニの、およそその同類のファシズムは、苛酷な闘争と多くの犠牲のおかげで打ち倒された。しかし、ファシズムそのものは死にはしない。ファシズムという野獣には、生まれかわる怖るべき力がある。この野獣を生き返えらせるもの、すなわち、大衆からの搾取、暴力ヘの嗜好、正義と自由への憎悪──これらのものがこんにち依然として世界にのさばっているからである。
 この文章をかいている時にも、人民のチリは軍事政権によって血ぬられており、ギリシャでは学生たちが銃弾のもとにたおれ、スペインはあいかわらず圧制のもとにある。見たまえ、レジスタンスはきのうのものであったように、こんにちのものである。……それはファシズムへの闘争をよびかけている。青年よ、それはとりわけきみたちによびかけている。なぜなら、きみたちの幸福、きみたちの運命は、ファシズムとのたたかいにかかっているからである。」

 さて、ここに訳出したアラゴンの詩は、一九四三年、レジスタンスのさいちゅうに書かれたもので、「グレヴァン蝋人形館」というおよそ五七〇行におよぶ長大な風刺詩の第三章です。一九四三年というのは、ナチス・ドイツ軍の暴虐・虐殺がその極に達したときであると同時に、フランス人民と連合軍の側に勝利の希望がたしかなものとなりつつあったときです。この詩のなかで、アラゴンは、ヒットラーと協力し、そのかいらいとなったヴィシー政権のペタンやラヴァル一味を、蝋人形館行きのロボット人形として、痛烈に風刺しているのです。

 第二章では、
  亡者 亡者 亡者ども
 ここはヴィシー・大グリル
 「祖国」の肉の大安売り 生肉 焼肉 よりどりみどり

 とヴィシー政権の売国ぶり、裏切りぶりをあばき出しているのです。この針のような風刺、「黒いユーモア」において、アラゴンはユゴーの「懲罰詩集」の伝統をうけつぎ発展させているのです。
 わたしはこの詩を訳しながら、この詩のなかのペタンやラヴァルの像のうえに、「黒いピーナツを喰った政府高官たち」の像を重ねてみないわけにはいきませんでした。そして、ファシストどもの正体が、洋の東西をとわず、瓜二つに似ているのには驚くばかりです。なおアラゴンは、この詩を「怒れるフランス人」という署名で発表したのでした。
                (大島博光)  

(『赤旗』1976.4.4)

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