(5)
質問がありましたら、それに答える形でお話したいと思います。
──口火の形で感想を述べたいと思います。大島さんがお書きになった『ピカソ』は非常に勉強になります。ピカソとの付き合いは、われわれにとって一つの闘いなんです。「ゲルニカ」をどういうふうに理解するかについて自分の内部に問わなければならない。というのは、初めは「ゲルニカ」がわからない。しかし、ファシズムに対する、あの残虐さに対する告発という歴史的な課題に取り組むのに、ピカソはあれ以外のやり方では表現できないんだということはだんだんわかってきます。彼の感覚、彼が育ったスペインの環境、彼の非常に強烈な個性、こういうふうなものと、彼が鍛えあげてきたシュルレアリスムその他の技法、蓄積を考えると、これは非常によくわかってきます。
それで、今度はわれわれ自身の課題として、日本のこういう環境のなかに、日本の人民の悩み、希望、そういうものをしょいこみ、自分の課題とする戦争と平和の問題をどう表現し、どう取り組んでいくかということです。日本には日本の技術的な伝統と、われわれが生きてきた社会、それぞれの作家たちの個性がある。これを考えてみますと、それぞれの民族の現代の画家たちは、さまざまな技法を使い、新しい芸術形式を創造しながらそれぞれ自分の世界で新しい形象化を展開しなければならないし、そこまで非常に広い個性を承認していくことが大事ではないだろうかと思うのです。
大島 そのとおりです。あなたのおっしゃるように、そこで今度は民族形式の側面も問題になってくるだろうと思います。
ただ、わたしが言いたいのは、自然主義は描くべき対象を選択しないということです。スナップ写真のように、何でも問題意識なしに描くのが自然主義なのです。「ゲルニカ」がファシズム闘争という問題意識をもって、選択して描かれたときに、それが典型をとらえることができたということなのです。
もう一つは、その「ゲルニカ」の問題には、ピカソにとっても幸せな傑作ができたという芸術の不思議さがあります。私も『ピカソ』のなかで書いておりますが、フェルミジェは、「ゲルニカ」を描いたピカソは怒り狂って燃えたっていたと言っています。ところがその後の、朝鮮戦争や戦争と平和の絵を描いているときには、そういう猛々しい、あのピカソはもういない。だからこれは非常につまらないという批評をしています。こういうことを見ても、ピカソのなかでも、「ゲルニカ」の創造というものは、そういう高揚したときの一回限りのすばらしさだというふうにも思います。もちろんそういう方法だけしかないと、私は言っているわけではありません。私なども、詩のほうではやはり自分たちの言葉で、自分たちの詩の伝統のなかで、新しく革新しつつ、そういうものを創造していかなければならないとも思っています。
──近代的自我と革命的モダニズムの連関性が、いまの大島さんの話で若干わかりましたが、革命的モダニズムの問題について、さらに大島さんの見解を教えていただきたいと思います。
大島 モデニスムという言葉が日本で使われる場合には、私たちが若い頃、詩のほうでモダニスムというと、ちょうど日本の歴史的な状況のなかでは、プロレタリア文化運動が弾圧されてもう何にもなくなって、小説のほうでは横光利一の新感覚派が出てきて、詩のほうでは私たちのやった「新領土」というような、つまりフランスのシュールレアリスムなどをまねするけれども、フランスのシュールレアリスムがもっているような反抗精神は抜きにして、ただ形だけのモダンさ、いわばファッションのモダンさが日本の詩におけるモダニスムの歪んだあらわれだったわけです。私がいま革命的モダニスムというのは、そういうモダニスムではなく、こんにちの社会でのいちばん先端的な、前衛的なありかたについての関心と、それを芸術表現していく精神をモダニスムというわけです。
それは先ほどのフランスの場合では、あのランボオが「絶対に近代的モデルンでなければならない」と言っています。そしてこの言葉をアラゴンなどもー種のモットーのようによく引用しています。モダンでなければならないというのは、その時代の先端的な問題、もっと言えば、その時代の中心的な問題をつかんでいかなければならないという態度だと思います。そういう意味で、こんにちのピカソのような芸術が、世界的な文化芸術のなかでいちばんモダンというか、進んだというか、そういう位置を獲得している意味でモダニスムと言ったのです。ピカソのなかにも、つねに新しい世界、現実、新しい手法に挑戦していくモダニスムの精神があって、それがみごとに作品のなかに開花していると思います。そして手法的に言えば、たとえばピカソ、エリュアール、アラゴンにみられるように、キュビスムやシュルレアリスムのなかでの獲得物をすべて清算するのではなく、そのなかのレアリスムに有効なものは、これを新たに併用する。そのことによってレアリスムをいっそう豊かにする、そういう態度もふくまれると思います。
(おおしま はっこう・詩人)
(この稿は一九八六年十二月十三日、日本共産党美術家後援会主催、日本共産党詩人後援会協賛の講演会「ピカソの友人たち」に加筆されたものです)
(完)
<『文化評論』1987年4月号>
質問がありましたら、それに答える形でお話したいと思います。
──口火の形で感想を述べたいと思います。大島さんがお書きになった『ピカソ』は非常に勉強になります。ピカソとの付き合いは、われわれにとって一つの闘いなんです。「ゲルニカ」をどういうふうに理解するかについて自分の内部に問わなければならない。というのは、初めは「ゲルニカ」がわからない。しかし、ファシズムに対する、あの残虐さに対する告発という歴史的な課題に取り組むのに、ピカソはあれ以外のやり方では表現できないんだということはだんだんわかってきます。彼の感覚、彼が育ったスペインの環境、彼の非常に強烈な個性、こういうふうなものと、彼が鍛えあげてきたシュルレアリスムその他の技法、蓄積を考えると、これは非常によくわかってきます。
それで、今度はわれわれ自身の課題として、日本のこういう環境のなかに、日本の人民の悩み、希望、そういうものをしょいこみ、自分の課題とする戦争と平和の問題をどう表現し、どう取り組んでいくかということです。日本には日本の技術的な伝統と、われわれが生きてきた社会、それぞれの作家たちの個性がある。これを考えてみますと、それぞれの民族の現代の画家たちは、さまざまな技法を使い、新しい芸術形式を創造しながらそれぞれ自分の世界で新しい形象化を展開しなければならないし、そこまで非常に広い個性を承認していくことが大事ではないだろうかと思うのです。
大島 そのとおりです。あなたのおっしゃるように、そこで今度は民族形式の側面も問題になってくるだろうと思います。
ただ、わたしが言いたいのは、自然主義は描くべき対象を選択しないということです。スナップ写真のように、何でも問題意識なしに描くのが自然主義なのです。「ゲルニカ」がファシズム闘争という問題意識をもって、選択して描かれたときに、それが典型をとらえることができたということなのです。
もう一つは、その「ゲルニカ」の問題には、ピカソにとっても幸せな傑作ができたという芸術の不思議さがあります。私も『ピカソ』のなかで書いておりますが、フェルミジェは、「ゲルニカ」を描いたピカソは怒り狂って燃えたっていたと言っています。ところがその後の、朝鮮戦争や戦争と平和の絵を描いているときには、そういう猛々しい、あのピカソはもういない。だからこれは非常につまらないという批評をしています。こういうことを見ても、ピカソのなかでも、「ゲルニカ」の創造というものは、そういう高揚したときの一回限りのすばらしさだというふうにも思います。もちろんそういう方法だけしかないと、私は言っているわけではありません。私なども、詩のほうではやはり自分たちの言葉で、自分たちの詩の伝統のなかで、新しく革新しつつ、そういうものを創造していかなければならないとも思っています。
──近代的自我と革命的モダニズムの連関性が、いまの大島さんの話で若干わかりましたが、革命的モダニズムの問題について、さらに大島さんの見解を教えていただきたいと思います。
大島 モデニスムという言葉が日本で使われる場合には、私たちが若い頃、詩のほうでモダニスムというと、ちょうど日本の歴史的な状況のなかでは、プロレタリア文化運動が弾圧されてもう何にもなくなって、小説のほうでは横光利一の新感覚派が出てきて、詩のほうでは私たちのやった「新領土」というような、つまりフランスのシュールレアリスムなどをまねするけれども、フランスのシュールレアリスムがもっているような反抗精神は抜きにして、ただ形だけのモダンさ、いわばファッションのモダンさが日本の詩におけるモダニスムの歪んだあらわれだったわけです。私がいま革命的モダニスムというのは、そういうモダニスムではなく、こんにちの社会でのいちばん先端的な、前衛的なありかたについての関心と、それを芸術表現していく精神をモダニスムというわけです。
それは先ほどのフランスの場合では、あのランボオが「絶対に近代的モデルンでなければならない」と言っています。そしてこの言葉をアラゴンなどもー種のモットーのようによく引用しています。モダンでなければならないというのは、その時代の先端的な問題、もっと言えば、その時代の中心的な問題をつかんでいかなければならないという態度だと思います。そういう意味で、こんにちのピカソのような芸術が、世界的な文化芸術のなかでいちばんモダンというか、進んだというか、そういう位置を獲得している意味でモダニスムと言ったのです。ピカソのなかにも、つねに新しい世界、現実、新しい手法に挑戦していくモダニスムの精神があって、それがみごとに作品のなかに開花していると思います。そして手法的に言えば、たとえばピカソ、エリュアール、アラゴンにみられるように、キュビスムやシュルレアリスムのなかでの獲得物をすべて清算するのではなく、そのなかのレアリスムに有効なものは、これを新たに併用する。そのことによってレアリスムをいっそう豊かにする、そういう態度もふくまれると思います。
(おおしま はっこう・詩人)
(この稿は一九八六年十二月十三日、日本共産党美術家後援会主催、日本共産党詩人後援会協賛の講演会「ピカソの友人たち」に加筆されたものです)
(完)
<『文化評論』1987年4月号>
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