ランボオ・ピカソ・モダニズム (3)

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(3)
 詩のほうでは状況の詩と言いますが、絵のほうでも、たとえば「ゲルニカ」とか、「朝鮮の虐殺」とか、あるいは「戦争と平和」というようなピカソの絵はやはり状況の絵画、状況の芸術ということができるだろうと思います。
 ところで、状況の詩を非常に苦労して書くようになったエリュアールは、状況の詩について非常にうまいことを言っております。つまり、状況の詩を書くためには、状況の芸術が成り立つためには、外部的状況と詩人の、芸術家の内部的状況とが一致しなければならないということです。どういうことかというと、先ほどの「ゲルニカ」のような絵の場合に、ゲルニカ爆撃に対する怒りをどのように絵で描くかという問題が提起されたときに、ピカソのなかにあれだけの技法、芸術的な蓄積があり、そうしてピカソ自身の怒り、感動という内部的状況があって、それらが結びついて初めてああいうものがつくり出されたわけです。
 ここが非常におもしろいところです。つまり、ゲルニカの悲劇をどういうふうに絵に描くか、ファシズム反対、戦争反対の絵をどういうふうに描くかという問題がピカソに与えられたときには、まだ「ゲルニカ」の構想も生まれず、どういうふうに描いたらいいかピカソにもわからない。そこにはただ、「ミノトールマシー」のような闘牛の絵や、たくさんのスペイン的なもののスケッチやエスキースを描いている蓄積があり、彼の絵画的言語の蓄積があって、初めて「ゲルニカ」という答えが出てきたわけです。
 この問題についてピカソはこんなふうに言っています。スペイン戦争について描けといわれても、わたしはあのゴヤの「五月三日」の、フランス兵が並んでスペインの民家を射撃しているような、戦争をそのまま絵のなかに描くわけにはいかない。わたしはわたし流で描かなければならないし、わたし自身が戦争のなかへ入っていかなければならない。そういう言い方をしております。このことはやはり、先ほどわたしが申し上げた近代的自我の内部を通して、自分の個性と感性のすべてを通して、自分のもので戦争を描く、現実を描く、あるいは反映する、という方法だろうと思います。
 そのように非常に個性的な、あるいは一見レアリスムに反するような、レアリスムから逸脱するように見えるほどにも奔放自由なイマジネーション、ファンタジーを駆使し、描いた作品、そういうものがピカソにもあるいはエリュアールにも、近代芸術のなかには出てまいります。ここで、そういうものはレアリスムなのか、それともレアリスムではないのかという疑問が出てくるだろうと思います。じっさいに、そういう疑問はまず「ゲルニカ」に対する評価という形で出てきたのです。

 一九三七年の夏、万国博のスペイン館の壁に、初めて「ゲルニカ」がかかげられたとき、それを注文した当時のスペイン共和政府の文化関係の人たちでさえが、こういう絵はスペイン戦争でたたかっている人民の役には立たない、われわれはもっと直接に武器をとって立ち上がれというような絵を要求した。ところが、この「ゲルニカ」にはあまりにもデフォルマンオン(変形)やトランスポジション(置き換え)というようなものがあり、非常に変わったフォルムがあって難解で、これは人民の芸術ではない、というような酷評も出たほどです。こんにちでこそ、「ゲルニカ」は衆目の一致する傑作と言われておりますけれども、当初においては、人民の側に立つ文化人でさえもがそういう評価をしたのです。そこにはやはり、文化の発展における不均等ということがあり、前衛芸術をめぐる評価におけるずれ、意議のずれがあるように思います。
 ここでわたしは典型というものを考えてみたいと思います。「ゲルニカ」におけるように、いわば二十世紀の典型的状況が、ピカソのような個性的、独創的な想像力と技法で描かれ、そのことによって典型として生かされているといった場合には、それこそがレアリスムだと思います。あるいはそれをまた革命的レアリスムと言ってもいいし、革命的モダニスムと言ってもいいと思います。逆に、そういう近代的自我を抜きにして、自分の主体を意識的に豊かにせずに、単なる古い自然主義的反映で終わっている場合には、それはレアリスムではなく、古い自然主義のままに陥っていると言っていいと思います。
 ピカソの偉大さは、一言で言えば、ニ十世紀の典型を描いた、というところにあると思います。もしも二十世紀を、資本主義から社会主義へ移行する世紀、あるいはファシズムと民主主義との闘争の世紀というならば、まさに「ゲルニカ」によって反ファシズム闘争の典型的な画面を描いたことに、ピカソの決定的な達成、貢献があったと言えるように思います。
 わたしの本のなかで、ピカソのレーニン平和賞受賞について、アラゴンがこういうことを言っています。
 ある人たちは、ピカソに平和賞が与えられたのは、ただピカソのハトの絵に与えられたのだ、と言うかも知れない。しかし、「ゲルニカ」やそのほかの傑作を描いた画家のハトでなかったら、そのハトはそれほど評価されなかっただろうと。
 わたしもその通りだろうと思います。あの激しい個性をもって、その時代の典型的なものを描きだす、という仕事は、「ゲルニカ」だけでなく、朝鮮戦争のときの作品、あるいは「戦争と平和」という、こんにちの最も重大な課題に対する壁画による対応、平和の謳歌、人間の生きる悦びに対する絵画による賛歌など、広くあるわけです。
 この豊かさ、主題の多様さ、レパートリーのひろさ、いろいろな分野──彫刻や陶芸などへの挑戦、……これらは、ピカソがつねに現実から出発したことによって可能でもあり、獲得されたのでもあったと思います。現実──人間の内面世界、意識世界をふくめ、政治、歴史をふくめた現実世界を対象としていたからこそ、可能だったのです。キュビスムのような抽象に近い仕事を追求しておりながら、しかしピカソは抽象絵画には一顧もしない。抽象には一瞥もくれないというところには、やはりピカソの断固たるレアリストの精神をうかがい知ることができます。
(つづく)

(文化評論1987年4月号)
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