ランボオ・ピカソ・モダニズム (2)

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(2)
 二十世紀の典型を描いたピカソ

 さてピカソのほうは、十九世紀から二十世紀に変わった状況、政治状況や社会状況の変化につれて、もっと前進した形で現実にタッチしています。「ゲルニカ」のように、ファシズム反対の闘争にもちゃんと反応しています。しかもピカソの場合には、絵画芸術上の方法、手法、技法などのほとんどあらゆるものを勉強し、キュビスムおいては、ああいう分析、総合、再構成というような方法を試み、そういう芸術手法上の蓄積によって、「ゲルニカ」という傑作も出てくるわけです。そういう歴史的状況にこたえた絵ばかりでなく、あの愛の絵にしても、あるいは青の時代の絵にしても、そこにはピカソ自身の主体的な近代的自我の生きた声、叫び、生きざまが表現されており、自己を語ることで万人を語るというところにまで到達します。それらは画面のうえでは、構成(コンポジション)ぜんたいの運動によって表現されたり、筆敦や線の勢いによって強調されたり、たとえば、いななく瀕死の馬や、頸を絞められて叫びをあげる鶏や、足をしばられて悲鳴をあげる犬といったような、叫びそのものの形象によっても、それらは表現されているように思います。
 さて、先ほどのランボオのことで申しますと、古い「美」に毒づいたということ、詩もきれいごとではすまないという態度は、やはりレアリスムになるほかはないと思います。たとえばランボオは、「七歳の詩人たち」という詩のなかで、労働者街の子供たちと遊んだ子供の頃を書いていますが、この詩のなかには、子供が半ズボンのなかにもらした下痢の臭いまで書きこんだり、庭の果樹を「皮癬に罹った果樹」などとも表現しています。ランボオはこの「皮癬」といったたぐいの醜怪なものが好きで、「酔いどれ船」のなかには「皮癬に罹った大蛇の群」などがうたわれています。こういう異常な醜怪なもののなかにも美を見いだす精神は、やはりピカソのなかにも、もっと違った、発展した形で出てきているように思います。
 たとえば有名な「アヴィニョンの娘たち」について考えてみましょう。当時ピカソが非常に愛していた絵に、アングルの「トルコの風呂」があります。裸の女たちがあらゆるポーズをとっている有名な古典主義の絵です。ピカソが、こういう絵を自分ならこういうふうに描くんだといって、それに対置してみせたのが「アヴィニヨンの娘たち」」のような気がします。「アヴィニヨンの娘たち」というのは、バルセロナにアヴィニョン街という港に近い町があっで、そこに淫売窟があったのです。南フランスのアヴィニヨンとは違います。ですから、初めからあれは淫売窟の女たちで、何でもピカソが若い頃、そこの近くに住んでいてよく見かけていたということです。この絵はそういう光景に触発されて描かれたもので、初めはその女たちを船員がひやかしているという構図だったといわれます。それが、アングルの「トルコの風呂」に対する一種の近代的なパロディの形として定着したとも考えられます。片方の古典的で美しい豊満なアングルの裸婦たちに対して、ここにはキュビスムの分析と再構成になる新しい女たちが描かれたのです。そこには淫売婦の巌しさと現実の厳しさが、新しい造形的意識によって描きだされているようなおもしろさがあるように思います。
 それから、怪異なイメージについていえば、スペイン人民を血の海に投げこんだファシスト・フランコを風刺した一連の戯画が思いだされます。そこではフランコは不気味な蛸のような怪物として描かれていて、そこにピカソの怒りと嘲笑がこめられています。
 また一連の「ミノトール」の版画、木炭による連作も忘れられないもので、とりわけ「小娘にみちびかれる盲目のミノトール」ほど、ピカソが自分の内面の苦悩を語った興味ぶかい自我像はないといえましょう。
 それからピカソのいちばんの親友であった詩人のエリュアールについて言いますと、彼はピカソのおかげで共産党員になったんだと、わたしは考えます。エリュアールのほうがピカソよりも先に共産党に入りますけれども、ほんとうはピカソの影響を受けて、彼はだんだん党に近づいていったのです。当時、シュルレアリスムの親玉であったアンドレ・ブルトンは、歴史的、あるいは社会的状況を書いた詩は、ほんとうの前衛的な詩ではない、それは詩の後退でしかない、という考えをもっていて、その影響下にあって、エリュアールは状況の詩、つまりレアリスムの詩のほうへはいかずに足踏みをしていたわけです。そういうときに、ピカソと親友になって、ピカソ巡回展では、ピカソといっしょにスペインをまわります。そこで講演をして歩いているうちにだんだんスペインに対する理解ももち、人民戦線に対する共感ももって共産党へ近づいてくる。スペインのファシストの暴虐をあばいた「一九六六年の十一月」という詩が「ユマニテ」紙に掲載されて大きな反響をよびます。ピカソが「ゲルニカ」を描くと、エリュアールは詩で「ゲルニカ」を書きます。こうしてエリュアールはブルトンの呪縛からぬけでて、レアリストになっていくわけです。そこに、ピカソの影響の大きさを見ることができると思います。
(つづく)

(『文化評論』1987年4月号)

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