ランボオ・ピカソ・モダニズム
大島博光
(1)
こんど『ピカソ』(新日本出版社刊)を書きまして、そのなかでわたしがいちばん感じたことをお話してみたいと思います。
またここには画家の皆さんや詩人の皆さんがお集まりなので、絵を描く、詩を書く、そういう創作者の立場、創作者の内面における制作の過程、手続きというような側面からも、ちょっとピカソのことを考えてみたいと思います。
ランボオの詩の本質
わたしは詩のほうが専門で、主としてフランスの近代詩を勉強してまいりました。若い頃には、その頃フランスで盛んであったシュルレアリスムの運動にも関心をもち、絵のほうでは、マックス・エルンストとかキリコなどにも魅かれたものです。ピカソもシュルレアリスムに関心をよせたばかりでなく、エリュアールと親友になってからは、『ミノトール』という、シュルレアリストの雑誌に協力して、その表紙絵を描いています。それらはモダニスム芸術として、いっしょくたになってわたしのなかにはいってきたのです。その頃(一九三〇年代)すでにピカソはわたしたち若い詩人仲間でも有名で、ピカソがわからない奴は詩人ではない、とさえいわれたほどです。
こんど『ピカソ』を書いていちばん感じたことのひとつは、ヨーロッパ文化・芸術のなかで、近代的自我というか近代的精神というか、そういうものの系統、発展、展開がやはり歴史的に続いているという点です。
なぜわたしがいま、近代的自我などということを申し上げるかというと、フランスの近代詩では、たとえばランボオから近代詩が始まると言われます。こういうランボオなどの近代的自我というものは、ブルジョワ的近代自我に対する批判者として、反抗者としてあらわれています。日本の現代のイデオロギー状況をみますと、もう近代を超克するという、あの戦争中に小林秀雄などがとなえたような反動的な近代的自我の否定ということが、反動のイデオローグのほうでは日程にのぼってきています。こういうことに対してもやはり近代的自我の確立、あるいはそれを基礎にした芸術活動の重要さをわたしは感ずるわけです。
ところで、わたしの本のなかで、フランスの詩人ジャク・ゴーシュロンがこういうことを言っています。ちょっと引用いたします。
「……ランボオは『地獄の季節』のなかであの神秘的な言葉を吐いている。
(ある夜、おれは『美神』を膝のうえに据えた。するとおれには『美神』が苦にがしいものに思われた。そこでおれは『美神』に毒づき侮辱した……)
……ピカソの作品は(ピカソそのひととは無関係に)完全に、このランボオの言葉の一種の解説であり、挿画(イラスト)である、とわたしは考えることができる……
美神は、画家ピカソの膝のうえに据えられて、毒づかれ侮辱されたのだ。美であったものが、忘れえぬ形象となり、非人間的な形象となった。
そしてランボオが『美神』を侮辱した『荒唐無稽なオペラとかれの最後のざ折を語ったのちに──『おれはきょう日を尊敬できる』という新しい言葉、新しい詩法を発明したように、ピカソもまた絵画のなかに、ちがった次元の美を創造するにいたる。それは、ちょっと見ただけではわからない、いっそう秘められた、見かけは辛辣で、腐蝕的な美である……』
ちょうどこのくだりを訳した頃、わたしはまたランボオを勉強し直していたものですから、そのことが初めてよく理解できたのです。この指摘はまた、ピカソ芸術の本質に光をあてて、これを照らしだしています。
ランボオが〝美神〟に毒づいたというくだりについて解説いたしますと、当時パリ詩壇に、パルナシアン(高踏派)という詩人グループがあって、『パルナッス』という立派な詩誌を出していたのです。少年詩人のランボオはパリ詩壇に憧れて、そこへ詩を送るけれどもちっとも載らない。だから羨望するけれど、侮蔑もあるわけです。そこでパルナシアンのことを美神と言いかえて毒づいている。つまり、おれはあんなパルナシアンのような詩は書かないぞ、という反抗と新しい詩法の宣言を、ああいう独特の言いまわしで言っているわけです。では『パルナッス』の詩とはどういうものかといえば、結局は象牙の塔の詩であり、パリのサロンの詩であり、現実生活とはほとんど無関係なつくりごとの文学だったのです。
ランボオの詩をご存じの方は、そういう言い方がよくおわかりになるだろうと思うのです。というのは、ランボオは少年でありながらすでにパリ・コミューンに自分の反抗の夢を託し、これを支持します。母子家庭における母親の独裁下のような暮らしのなかで、「ここには真の生活はない」と叫び、「生活を変える」ことを夢みるわけです。そうして彼は、「ジャンヌマリーの手」という有名な詩で、コミューンのバリケードでたたかった婦人戦士をほめたたえ、「パリのどんちゃん騒ぎ」という詩では、コミューンを絞め殺して勝ちほこるヴェルサイユのブルジョアどもを痛烈に罵倒するのです。
それから、こんにちで言えば非行少年のような面もあって、しょっちゅう家出をして食うや食わずで街道をほっつき歩いている。またそういう生きざまや放浪生活を美しい詩に書く。そういう実践、行動、生きざま、生き方を自分の詩のなかでうたう。つまり現実の自分の体験や生きざまや、ブルジョワ社会への反抗や批判や、そこから抜け出る夢などをうたう。こういうのが彼の詩人としての態度です。
こんにち、わたしなどがランボオに興味をもつのは、そういう詩を書きながら、それが個人主義的でないという点です。なぜ個人主義的でないかというと、パリ・コミューヌの思想・精神を共有していて、世の中をよくしよう、生活を変えようという希望──それはコミューヌが敗北して絶望に陥りますが、その希望はすぐには終えず、時代の精神、時代の課題を忘れずに、いつでもそれを念頭においてものを書いている。だからそこでは、ランボオが「私」と言っても、それは「われわれ」であり、こんにちのわれわれにもつながる時代精神を感ずるわけです。
マルクスはパリ・コミューヌについて、その弱点を指摘し、さきほど引用したゴーシュロンは、こういうランボオの詩の本質を、古い美に毒づいてこれを否定した点、きれいごとの詩に対して反抗した点に見いだしていて、そういうことをピカソは絵のうえでおこなった、と言っているわけです。つまりこの二人の芸術の本質のあいだにある類似性、アナロジーを指摘しているのです。ピカソ芸術は「辛辣で、腐蝕的な美である…」という指摘はそのままランボオの詩の本質をも浮きたたせるものです。
(つづく)
(この稿は一九八六年十二月十三日、日本共産党美術家後援会主催、日本共産党詩人後援会協賛の講演会「ピカソの友人たち」に加筆されたものです)
(『文化評論』1987年4月号)
大島博光
(1)
こんど『ピカソ』(新日本出版社刊)を書きまして、そのなかでわたしがいちばん感じたことをお話してみたいと思います。
またここには画家の皆さんや詩人の皆さんがお集まりなので、絵を描く、詩を書く、そういう創作者の立場、創作者の内面における制作の過程、手続きというような側面からも、ちょっとピカソのことを考えてみたいと思います。
ランボオの詩の本質
わたしは詩のほうが専門で、主としてフランスの近代詩を勉強してまいりました。若い頃には、その頃フランスで盛んであったシュルレアリスムの運動にも関心をもち、絵のほうでは、マックス・エルンストとかキリコなどにも魅かれたものです。ピカソもシュルレアリスムに関心をよせたばかりでなく、エリュアールと親友になってからは、『ミノトール』という、シュルレアリストの雑誌に協力して、その表紙絵を描いています。それらはモダニスム芸術として、いっしょくたになってわたしのなかにはいってきたのです。その頃(一九三〇年代)すでにピカソはわたしたち若い詩人仲間でも有名で、ピカソがわからない奴は詩人ではない、とさえいわれたほどです。
こんど『ピカソ』を書いていちばん感じたことのひとつは、ヨーロッパ文化・芸術のなかで、近代的自我というか近代的精神というか、そういうものの系統、発展、展開がやはり歴史的に続いているという点です。
なぜわたしがいま、近代的自我などということを申し上げるかというと、フランスの近代詩では、たとえばランボオから近代詩が始まると言われます。こういうランボオなどの近代的自我というものは、ブルジョワ的近代自我に対する批判者として、反抗者としてあらわれています。日本の現代のイデオロギー状況をみますと、もう近代を超克するという、あの戦争中に小林秀雄などがとなえたような反動的な近代的自我の否定ということが、反動のイデオローグのほうでは日程にのぼってきています。こういうことに対してもやはり近代的自我の確立、あるいはそれを基礎にした芸術活動の重要さをわたしは感ずるわけです。
ところで、わたしの本のなかで、フランスの詩人ジャク・ゴーシュロンがこういうことを言っています。ちょっと引用いたします。
「……ランボオは『地獄の季節』のなかであの神秘的な言葉を吐いている。
(ある夜、おれは『美神』を膝のうえに据えた。するとおれには『美神』が苦にがしいものに思われた。そこでおれは『美神』に毒づき侮辱した……)
……ピカソの作品は(ピカソそのひととは無関係に)完全に、このランボオの言葉の一種の解説であり、挿画(イラスト)である、とわたしは考えることができる……
美神は、画家ピカソの膝のうえに据えられて、毒づかれ侮辱されたのだ。美であったものが、忘れえぬ形象となり、非人間的な形象となった。
そしてランボオが『美神』を侮辱した『荒唐無稽なオペラとかれの最後のざ折を語ったのちに──『おれはきょう日を尊敬できる』という新しい言葉、新しい詩法を発明したように、ピカソもまた絵画のなかに、ちがった次元の美を創造するにいたる。それは、ちょっと見ただけではわからない、いっそう秘められた、見かけは辛辣で、腐蝕的な美である……』
ちょうどこのくだりを訳した頃、わたしはまたランボオを勉強し直していたものですから、そのことが初めてよく理解できたのです。この指摘はまた、ピカソ芸術の本質に光をあてて、これを照らしだしています。
ランボオが〝美神〟に毒づいたというくだりについて解説いたしますと、当時パリ詩壇に、パルナシアン(高踏派)という詩人グループがあって、『パルナッス』という立派な詩誌を出していたのです。少年詩人のランボオはパリ詩壇に憧れて、そこへ詩を送るけれどもちっとも載らない。だから羨望するけれど、侮蔑もあるわけです。そこでパルナシアンのことを美神と言いかえて毒づいている。つまり、おれはあんなパルナシアンのような詩は書かないぞ、という反抗と新しい詩法の宣言を、ああいう独特の言いまわしで言っているわけです。では『パルナッス』の詩とはどういうものかといえば、結局は象牙の塔の詩であり、パリのサロンの詩であり、現実生活とはほとんど無関係なつくりごとの文学だったのです。
ランボオの詩をご存じの方は、そういう言い方がよくおわかりになるだろうと思うのです。というのは、ランボオは少年でありながらすでにパリ・コミューンに自分の反抗の夢を託し、これを支持します。母子家庭における母親の独裁下のような暮らしのなかで、「ここには真の生活はない」と叫び、「生活を変える」ことを夢みるわけです。そうして彼は、「ジャンヌマリーの手」という有名な詩で、コミューンのバリケードでたたかった婦人戦士をほめたたえ、「パリのどんちゃん騒ぎ」という詩では、コミューンを絞め殺して勝ちほこるヴェルサイユのブルジョアどもを痛烈に罵倒するのです。
それから、こんにちで言えば非行少年のような面もあって、しょっちゅう家出をして食うや食わずで街道をほっつき歩いている。またそういう生きざまや放浪生活を美しい詩に書く。そういう実践、行動、生きざま、生き方を自分の詩のなかでうたう。つまり現実の自分の体験や生きざまや、ブルジョワ社会への反抗や批判や、そこから抜け出る夢などをうたう。こういうのが彼の詩人としての態度です。
こんにち、わたしなどがランボオに興味をもつのは、そういう詩を書きながら、それが個人主義的でないという点です。なぜ個人主義的でないかというと、パリ・コミューヌの思想・精神を共有していて、世の中をよくしよう、生活を変えようという希望──それはコミューヌが敗北して絶望に陥りますが、その希望はすぐには終えず、時代の精神、時代の課題を忘れずに、いつでもそれを念頭においてものを書いている。だからそこでは、ランボオが「私」と言っても、それは「われわれ」であり、こんにちのわれわれにもつながる時代精神を感ずるわけです。
マルクスはパリ・コミューヌについて、その弱点を指摘し、さきほど引用したゴーシュロンは、こういうランボオの詩の本質を、古い美に毒づいてこれを否定した点、きれいごとの詩に対して反抗した点に見いだしていて、そういうことをピカソは絵のうえでおこなった、と言っているわけです。つまりこの二人の芸術の本質のあいだにある類似性、アナロジーを指摘しているのです。ピカソ芸術は「辛辣で、腐蝕的な美である…」という指摘はそのままランボオの詩の本質をも浮きたたせるものです。
(つづく)
(この稿は一九八六年十二月十三日、日本共産党美術家後援会主催、日本共産党詩人後援会協賛の講演会「ピカソの友人たち」に加筆されたものです)
(『文化評論』1987年4月号)
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