わたしが きみを忘れることのできるのは
ただ わたしじしんが死んだ そのときだろう
そのとき きみはもう一度死ぬだろう
わたしといっしょに
*
きみはいま いつにもまして わたしのなかに
いついて離れない
*
夜ごと わたしはひとり泣き寝入りするのだ
母親を失った みなし子のように
*
わたしのなくした春のはなやかさ
きみを失ったうつろの果てしなさ
とり返しようのないもののはかなさ
生き残ったものの救いようのなさ
百のすすり泣き 千のなぐさめも
わたしのこのうつろを埋めはしない
*
わたしはいまも きみに生かされて
そうしてきみに歌わされている
*
もしもわたしが きみを想い
きみを歌って くず折れるなら
それは きみの愛にこたえることにならない
なぜなら きみの愛は大きな愛だったから
きみの愛は 他者を生かし
おのれも生きることであった
きみの愛は 愛して死ぬことではなく
愛して生きることだった
九三・二・二六
(ノート1992-93)
ただ わたしじしんが死んだ そのときだろう
そのとき きみはもう一度死ぬだろう
わたしといっしょに
*
きみはいま いつにもまして わたしのなかに
いついて離れない
*
夜ごと わたしはひとり泣き寝入りするのだ
母親を失った みなし子のように
*
わたしのなくした春のはなやかさ
きみを失ったうつろの果てしなさ
とり返しようのないもののはかなさ
生き残ったものの救いようのなさ
百のすすり泣き 千のなぐさめも
わたしのこのうつろを埋めはしない
*
わたしはいまも きみに生かされて
そうしてきみに歌わされている
*
もしもわたしが きみを想い
きみを歌って くず折れるなら
それは きみの愛にこたえることにならない
なぜなら きみの愛は大きな愛だったから
きみの愛は 他者を生かし
おのれも生きることであった
きみの愛は 愛して死ぬことではなく
愛して生きることだった
九三・二・二六
(ノート1992-93)
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