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詩日記 一九九三年二月二六日

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わたしが きみを忘れることのできるのは
ただ わたしじしんが死んだ そのときだろう
そのとき きみはもう一度死ぬだろう
わたしといっしょに
    *
きみはいま いつにもまして わたしのなかに
いついて離れない
    *
夜ごと わたしはひとり泣き寝入りするのだ
母親を失った みなし子のように
    *
わたしのなくした春のはなやかさ
きみを失ったうつろの果てしなさ
とり返しようのないもののはかなさ
生き残ったものの救いようのなさ
百のすすり泣き 千のなぐさめも
わたしのこのうつろを埋めはしない
    *
わたしはいまも きみに生かされて
そうしてきみに歌わされている
    *
もしもわたしが きみを想い
きみを歌って くず折れるなら
それは きみの愛にこたえることにならない
なぜなら きみの愛は大きな愛だったから

きみの愛は 他者を生かし
おのれも生きることであった
きみの愛は 愛して死ぬことではなく
愛して生きることだった
                九三・二・二六

(ノート1992-93)
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