アヴィニョンにおけるピカソ展──愛について(上)

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 アヴィニョンにおけるピカソ展──愛について

 南仏アヴィニョンには、「アヴィニョンの橋で輪になって踊る」という古いフランス民謡で知られる「アヴィニョンの折橋」が、ひろいローヌ河のなかほどで折れたままの姿を残している。この橋の岸辺近い小高い丘に、法王庁宮殿がいかめしくそびえている。一三〇九年から一三七八年まで、アヴィニョンは法王庁の所在地であった。
 この法王庁宮殿で、一九七〇年五月から十月にかけてピカソ展がひらかれた。この展覧会を思い立ったのは、クリスチャン・ゼルボスの娘イボンヌ夫人であった。前年の秋、イボンヌはムージャンを訪れて、一九六九年に制作されたピカソの絵画展を開く承諾をピカソからとりつけていた。不幸にイボンヌはそれから数週間後にとつぜん死んだ。父親のゼルボスがこの計画をうけついで実現したが、その彼も次の年には死ぬことになる。偶然、これらの不幸に会いながら、この展覧会は二十世紀における人間讃歌、生への讃歌のもっとも熱っぽい舞台のひとつとなる。
 このピカソ展には、一九六九年一月から一九七〇年二月二日までに描かれた一六七点の油絵と四五点のデッサンが陳列された。パイプをくわえた男たち、アレキザンダー・デュマの三銃士にも似た、剣や銃もった銃士たち、レンブラントに似た画家たち、それから生への讃歌をかなでる十五の接吻(くちづけ)、葡萄の葉っぱを取っぱらった十五の抱擁……。
 これらの銃士たち、恋人を抱擁する男たちを夢中になって描いていたとき、ピカソは妻に叫んだ「ジャックリーヌ!あの男がやってきたよ、またやってきたよ!」──画想はぞくぞく画家を襲ったのである。その頃、ピカソは数時間で一枚の絵を描き上げ、ある時には、一日に数点の絵を描いたといわれる。
 この展覧会に並べられた作品において支配的な主題は、やはり愛であった。それはアラゴンをしてつぎのように歌わせたものである。

 かつて絵画において 愛することについて
 これほど気高く粘り強い宣言はなかった
 欲望と悦楽の名を これほど大胆に
 声高く呼んだ声はなかった
(つづく)

<新日本新書『ピカソ』>

ピカソ 
パブロ・ピカソ「接吻」 1969年
 

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