パリ・コミューンと詩人たち ──パリ・コミューン百周年に寄せて──(上)

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パリ・コミューンと詩人たち ──パリ・コミューン百周年に寄せて──

                          大島博光

 ことしはちょうど、パリ・コミューン(一八七一年)の百周年にあたる。そこで、パリ・コミューンを歌った詩人たちとその詩をとおして、その偉大なプロレタリア革命の最初の企てをしのぶことにしよう。

 パリほど、たくさんの詩人たちに歌われた都市はない。一九四四年、ナチス・ドイツの鉄のくびきから解放されたパリを、アラゴンはこう歌った。

  ポワン・デュ・ジゥルからペール・ラシェーズへと
  祖国の不滅のかがり火は 消えることなく
  その赤い燠火より よみがえり 燃えあがる
  あのやさしい薔薇の木は 八月に花咲き
  四方から集まったひとびとは パリの血だ

  硝煙のなかのパリほどに 輝やかしいものはない
  蜂起したパリの額ほどに 清らかなものはない
  どんな危険をも怖れぬ わがパリほどに
  砲火も 雷も けっしてちから強くはない
  わが抱く このパリほどに 美しいものはない

 アラゴンはここで、パリの革命的伝統をたたえ、パリ・コミューンのペール・ラシェーズの墓地の「連盟兵の塀」を思い出している。
 一八七一年のパリ・コミューンの翌日、アルチュール・ランボオは、偉大な革命の首都パリを、こう歌った。
 詩人は歌った 「パリ おまえの美しさはすばらしい!」と
 嵐は 至高の詩で おまえを祝福した

 詩人たちの熱狂と賛歌は、その背後にいる人民の熱狂と情熱の表現であり、反映である。ヴィクトル・ユゴーを始め、多くの詩人たちがパリ・コミューンを支持し、歌ったが、反動のヴェルサイユ政府の側には、ひとりの詩人もいなかったのである。ヴェルサイユ政府には、「秩序を維持する」のに、シャスポー銃と機関砲しかなかった。しかし、機関砲も、人民の声や詩人たちの歌ごえを抑えつけることはできなかったのだ。
 こんにち、全世界の革命的な労働者の歌となっているポティエの「インターナショナル」は、一八七一年六月、ヴェルサイユ軍の血なまぐさい弾圧のさなかに書かれたのであった。
            *
 ここは、パリ・コミューンの歴史をかく場所ではないが、そのあらすじだけでも書いておこう。
 一八七〇年七月、ナポレオン三世はプロシアに宣戦布告する。九月三日、ナポレオン三世は、セダンにおいて包囲され、降伏し、捕虜となる。こうして翌九月四日、第二帝制は崩壊し、共和革命の宣言とともに、「国防」政府が成立する。しかし、ブルジョア階級によって構成されたこの政府は、ひとたび共和制を宣言するや、愛国的情熱に燃えるフランス国民の要求に答えるどころか、外敵に抗戦するかわりに、九月二十日、外務大臣ジュール・ファーヴルとビスマルクとのフェリエール会見をきっかけに、ドイツとの和平交渉を始める。翌一八七一年一月、この「国防」政府は、武装したパリの労働者階級にたいする恐怖のあまり、六ケ月におよぶプロシア軍の包囲に英雄的に耐えてきたパリを放棄して、ドイツとの恥ずべき休戦条約を決意する。これは、ブルジョアジーが階級支配を確立するために、自己の階級的利益のために、祖国を裏切って、敵と協調することを意味する(さらに、一九四〇年、第二次大戦ちゅう、フランス・ブルジョアジーの代表ペタンは、ヒットラーと協力することになる)。
 詩人エミール・ドルーは、このようなブルジョアジーの裏切りの姿を、「ビフテキ一枚のパリ」のなかで、痛烈に風刺している。

 平和万才! なんとフランスがせり売りに出される
 ブルジョアども あしたはたらふく食えるぞ
 ビスマルクは フェリエールの城で待っている
 パリへご入城下され というチエール*の言葉を
 ファーヴルは 急いで最後の条文を書きあげる
 トロシュ**はわけのわからぬ計画をあきらめる
 さあ ブレバン***よ フライパンをひっくり返えせ
 諸君(メッシュー) ビフテ一枚とひきかえに パリが売り出される

 アルザスやローレンが わしにとって何んになる?
 そんな処にゃ わしの土地も財産もありはせぬ
 プロシアが ぶん取ろうと ぶんどるまいと
 構ったことか 何も失うものはないからじゃ
 ストラブールより わしの食卓の方が大事じゃ
 メッツは うずらの手羽ひとつの値うちもないわ
 そんなものには わしの情婦(いろ)さえ眼もくれぬ
 諸君(メッシュー) ビフテ一枚とひきかえに パリを売り渡そう

 気狂いどもが 抗戦に立ち上れとわめきおるわ
 祖国を 名誉を 死守しろ とほざきおるわ
 恨(うら)みを晴らす権利があるのは わしのお腹(なか)だけじゃ
 わしの心臓は へその下にさがってしもうた
 下賤のやからが 愛国者となって戦おうと
 敵の砲火で くたばろうと かまったことか
 わしは にんにくソースの方が好きなのじゃ
 諸君(メッシュー) ビフテ一枚とひきかえに パリを売り渡そう

 またこう言う奴もいる フランスは今にも死にそうだ
 両脇腹には、外国軍が くらいついている
 ドイツの槍騎兵どもが 血まみれの長靴で
 奴隷のように おれたちを踏んづけている と
 そんな苦(にが)にがしい光景の好きな奴は 泣きわめくがいい
 平和が来れば そんな泣き言もお終(しま)いになるわ!
 わしの台所にはもうひと切れの肉もないのじゃ──
 諸君(メッシュー) ビフテ一枚とひきかえに パリを売り渡そう

 さあ 決った 女中(ねえや)よ おめかしするのじゃ
 青い客間には 新しいカーテンを張るんだ
 マノンよ おまえはオムレツを焼くのじゃ
 プロシアのおかげで わしらは卵が食えるぞ
 あしたは 三人のバヴァリア人を家に招(よ)んで
 飲めや歌えや どんちゃん騒ぎと行こう。
 平和万才! 祖国なんか くそくらえだ!
 ビフテ一枚とひき替えに パリは売られちまった

 *チエール!ヴェルサイユ政府の首相。
 **トロシュ──パリ防衛司令官トロシュ将軍。降伏の機会をもとめ、大砲を空に向けて射つように命令したと言われる。
 ***ブレバン──当時パリで有名だったレストランのおやじ。金もちどもは、パリがドイツ軍に包囲きれて、きびしい状態にあったにもかかわらず、このレストランでご馳走をたべていたという。

 ブルジョア政府がドイツとの和平交渉をつづけていた頃、パリの街々では、このようなシャンソンが歌われ、小冊子に印刷されて売られていたのである。ドイツに降伏したブルジョア政府は、ドイツに支払う莫大な賠償金を、労働者階級に支払わせようと企む。そのためには、すでに自ら武装し、「コミューン」を要求していた革命的なパリを──労働者のパリをたたきのめさなければならなかった。すでに一八七一年一月に結成された国民軍は、労働者、職人、小プルジョアジーの同盟から成る民兵組織であった。
 一八七一年三月十八日の明け方、憲兵隊、警官隊、歩兵部隊が、ひそかに労働者街に向って行動を起こした。労働者街には、人民の拠金でつくった国民軍の大砲が備えつけられていた。チエールは不意討ちをかけて、パリを武装解除しようとしたのである。しかし、早くも起き出していた主婦たちは急をしらせ、身をもって大砲を守った。労働者、市民の群がぞくぞくと駆けつけてくる。兵隊たちは、民衆にたいする発砲を拒否して、民衆の側に移る。さらに兵隊たちは、いきり立った二人の将軍を処刑する。これが、プロレタリア革命の合図となり、コミューンの始まりとなった。この革命においては、売国奴たるヴェルサイユ議会とチエール政府にたいする憎悪と、民族的屈辱感と、労働者階級の革命的熱情とが結びついていた。こうしてプロレタリアートは、じぶんの運命をじぶんの手に握り、権力をじぶんの手に握ったのである。
(つづく)

(『文化評論』1971年4月号)
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