世界の共産党員物語 ピカソ(中) ファシズムを告発する「ゲルニカ」

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世界の共産党員物語(8)

ピカソ(中)

●ファシズムを告発する「ゲルニカ」


●ファシズムヘの怒り
 一九三六年の夏、突如としてピカソは政治に眼をひらきます。そのときピカソは五十五歳。青年時代の「青の時代」を通過し、有名な「アヴィニョンの娘たち」を描き、立体主義(キュビスム)の絵画を追求し、そのかたわら新古典主義といわれる豊満な大女たちの絵を描いて、ピカソの名はすでに世界にとどろいていました。
 ピカソに政治に眼を向けさせたのは、祖国スペイン共和国にたいして、ファシスト・フランコ軍が反乱を始めたからです。つまりスペイン市民戦争の勃発です。
 スペイン共和国は、一九三一年四月、スペイン各地でおこなわれた地方選挙の結果、共和制を支持する人民が決定的な勝利をおさめて、スペイン人民が流血をみることなくして獲得し、成立させた共和国でした。その折、アルフォンソナ三世はついに王位を放棄し、ブルボン王朝は崩壊したのです。この偉大な夢の実現と未来への希望は、どんなにスペイン人民を歓喜させたことでしょう。それにつづく数年はスペインの民主的な文化が花ひらく輝かしい季節となります。
 しかし、春の日は長くはつづきませんでした。国際反動とファシストたちは、若いスペイン共和国の隙をうかがい、おのれの出番を待っていたのです。こうして一九三六年七月、ヒトラーとムソリーニに支援されたフランコ軍が、スペイン人民に襲いかかったのです。
 ピカソは共和国とスペイン人民を支持し、そこに希望を託していました。そしてピカソは共和国政府によって、プラド美術館長に任命されていました。
 ピカソはこのポストを名誉として受けもつだけでは十分と思わず、スペイン人民の支援に全力を傾けるのです。ファシストの恐るべき犯罪、勝ちほこった「野獣」のふりまく恐怖を前にして、ピカソは怒りの声をあげ、この悲劇の残酷さを、その天才をもって描くことになります。また内戦の犠牲となったスペインの子どもたちを支援するために、彼は多くの絵を売って、多額の義援金をいく度も贈ったのです。

●ゲル二力の悲劇
 一九三七年一月、スペイン共和国政府は、その夏パリでひらかれる万国博覧会のスペイン館をかざる壁画をピカソに依頼しました。ピカソは壁画を引き受けましたが、なかなかその仕事に手がつきませんでした。そうこうしているうちに、世界を衝撃させる事件が起きたのです。──ゲルニカの悲劇です。
 一九三七年四月二十六日、バスク地方の小さな町ゲルニカは、フランコを支援するナチス・ドイツ空軍によって三時間半にわたる波状爆撃をうけ、町は全焼全滅し、死者は二千人にのぼりました。ナチスの戦闘機は、町のまわりの畑に避難した町民たちにまで機銃掃射を浴びせたのです。このドイツ軍による爆撃の目的は、爆弾と焼夷弾との共用効果を、非戦闘員の住民にたいして実験することにあったのです。
 このファシストによる残酷な犯罪の知らせは、たちまち世界に伝えられ、世界じゅうの人びとに衝撃をあたえたのです。
 四月三十日には、フランスの新開には、廃墟となったゲルニカの写真が掲載されたのです。
 スペインの同胞のうけた、この残酷な悲劇にたいするピカソの怒り、反発──そこから一挙に、壁画のイメージが生まれ、傑作「ゲルニカ」へと結晶してゆくのです。

●20世紀最大の傑作・ゲルニ力
 できあがった画幅はきわめて大きなものでした(三・五☓七・八二メートル)。構成の上でピカソはごく古典的な形式をとっています。
 中央の三角形の項点にはランプがあります。大きな横顔を見せている女の腕が、このランプを差し出しています。人物たちと部屋の部分とは、舞台装置の印象をあたえるように圧縮されて配置されています。左側には大きな電灯に照らされた部屋があって、テーブルの上には頸(くび)をのばしてくちばしを大きく開けている鳥が描かれています。右側には瓦屋根の家と炎に包まれた家、その窓と入り口などが、きわめて立体主義風な幾何学図形によって描かれています。およそ古典的な絵においては、恐怖の場面は一般に広場でくりひろげられ、殉教者や無実の者たちは四方に逃げようとしています。しかしここでは逃げることは不可能なのです。町と町の人たちは爆撃によって全滅させられていたからです。そこでピカソはこの閉ざされた舞台装置を選んだのです。
 八人の登場人物──中央には馬が断末魔の叫びをあげています。左側には牡牛が顔を横に向け、尾を立てています。その下に顔をのけぞらせた女が苦しみの叫びをあげ、死んだ子どもを腕に抱いています。右側には、ランプを差しだしている女の横顔をかこむように、もうひとりの女が光の方に身を伸ばしており、さらにもうひとりの女が炎を噴いている家の前で、腕を重くあげて大きくわめいています。前面にはひとりの戦士が床に横たわり、折れた剣を手に握りしめています。剣のそばには花が描かれています。
 牡牛と死んだ子どもをのぞいて、その他の顔はみな口を大きくあけて、あるいは断末魔の叫びを、あるいは怒りと恐怖の叫びをあげています。それらすべてはゲルニカの時代に絵画があげた叫びそのものなのです。ひき裂かれ、ふみにじられたスペイン人民の悲劇にたいして、絵画があげることのできた叫びそのものなのです。そしてそれはまたピカソがファシズムの暴虐にたいしてあげた叫びにほかならないのです。ここに、絵画「ゲルニカ」が二十世紀最大の傑作といわれる理由があるのだと、わたしは考えます。
 「ゲルニカ」についてはいろいろな解釈がおこなわれていますが、ピカソの友人でスペインの大詩人ラファエル・アルベルティが「ゲルニカ」について書いた詩を引用しておきたいと思います。

 ……怒りに燃えて告発し
 きみは天にまでおし挙げた きみの慟哭を
 断末魔の馬のいななきを
 きみは地面に並べて見せた
 倒れた戦士の折れた剣を
 えみ割れた骨の髄と
 皮膚の上のぴんと張った神経を
 苦悶を断末魔の苦しみを憤怒を
 そしてきみじしんの驚愕を
 ある日きみがそこから生まれてきた
 きみの祖国の人民を
 それらすべてを
 きみは「ゲルニカ」と名づけた
 (アルベルティ『途切れざる光』)

●仔山羊と鳩
 それから十数年後の一九五〇年、ピカソの「ゲルニカ」の映画がつくられたとき、詩人のエリュアールはそれにすばらしい解説を書いたのです。そのなかには、「ゲルニカ」の意義にふれた、つぎのような美しい文章があります。

 「ゲルニカの焼け焦げた樫の木のしたに、ゲルニカの廃墟のうえに、ゲルニカの澄んだ空のしたに、ひとりの男が帰ってきた。腕のなかには鳴く仔山羊をかかえ、心のなかには一羽の鳩を抱いていた。かれはすべての人びとのために、きよらかな反抗の歌をうたうのだ。愛にはありがとうと言い、圧制には反対だと叫ぶ、反抗の歌を。心からの素直な言葉ほどにすばらしいものはない。かれは歌う──ゲルニカはオラドゥールとおなじように、ヒロシマとおなじように、生ける平和の町だ。これらの廃墟は、恐怖(テロル)よりももっと力強い声を挙げているのだ。
 ゲルニカよ! 無辜(むこ)の人民は虐殺にうち勝つだろう」

 ここには「ゲルニカ」につづくピカソの仕事が簡潔に、しかも詩のように描かれています。「腕のなかには鳴く仔山羊をかかえ……」というのは、一九四四年につくられたピカソの彫刻「羊を抱いた男」を指しており、「一羽の鳩」というのは、一九四九年の第一回世界平和大会のポスターに描かれた、ピカソの「鳩」を指しているのです。つまり、「ゲルニカ」によるファシズムの告発ののちには、ピカソは平和運動にその芸術と実践をもって参加したのです。
 なおヒロシマと並べられている「オラドゥール」というのは、フランスの南西部リモージ市から二十キロほど西にある村の名です。第二次大戦末期の一九四四年六月十日、敗走を始めたナチス・ドイツ軍は狂暴になって、通過する村々に火を放ったのです。オラドゥールの村も焼きはらわれ、全村民が虐殺され、女と子どもたちは教会に閉じこめられて焼かれたのです。ひとつの村が文字どおり地図から消された悲劇として、オラドゥールはチェコのリデイツェ村とともに有名です。
<本稿は拙著『ピカソ』(新日本出版社)に拠って書かれた。詳しくは同書を参照されたい。>

(『月間学習』1988年1月号)
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