清水のような流露  関屋綾子夫人へ

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 清水のような流露

 関屋綾子夫人へ──一九八六年「赤旗」四月二十三日付
               「霧が晴れ渡る感動」を読んで

もう 長い人生を 生き抜いてきたあなたが
もう けっして若くはないキリスト者のあなたが
「誰に誘われたのでもないのに 義務や責任の
思いからでなく 自然な心の願いのままに」
「宮本百合子没後三十五周年記念の夕」へ駈けつけた

そうしてそこに見いだした感動や よろこびを
あなたは すばらしいひとつの詩のように書いた
まるで少女のような 澄んだ眼とこころで

「……まだ十代の若い日の自分の胸の中にあった
自分自身の現実の生活にはない何かと
今 長い長い年月を経て再び出会った
とでも言えばよいのかもしれない……」

それこそ 他者の中におのれを見いだすということ
それこそ 愛と呼ばれるほかはないものであろう

そうしてそこに 平和 しあわせ 真実をめざして
神を信じるものと信じないものとの出会いと共同がある

そうしてそれほどに 新たな希望をわたしに与え
人間の信頼へとわたしを奮い立たせてくれるものはない

あなたの詩 その清水のような流露の底には
何んの飾りもない もう飾りをも必要としない
砂金そのものの輝きと うるおいとがある
それに心ゆすぶられて わたしはいまこれを書いている

また 宮本百合子を語った宮本顕治の話について
あなたは深い理解に立って いみじくも書いた

「……かつて百合子と助け合いながら暮らされた
素朴で真面目な生活のひびきをきく思いがした
一つの道標をみすえて互いにいたわり尊重しつつ
そしてまた あくまで互いに一人の座をしっかりと
守りながら前進するお二人の生活を感じて
私は素直な尊敬の念を禁じ得なかった……」

おお 宮本百合子の人間 精神 文学にたいして
かつてこのような接近《アプローチ)を語ったものはなかった
宮本百合子の偉大にたいして それと言わずに
かつてこのような敬意(オマージュ)をおくったものはなかった

かつて この宮本百合子と宮本顕治を拷問にかけ
酷暑と厳寒の牢獄に投げこんで迫害した者たち
その菊の紋章をつけた体制の非人間性 野蛮 残忍と
この接近(アプローチ) この敬意(オマージュ)の清水のような流露とは
おお なんという鮮やかな対照をみせていることだろう!

「……とじ込めた霧が晴れ渡って行くように
そこにはっきりと何かが見えはじめてきた……」


<『赤旗』日曜版1986年5月11日、『冬の歌』>
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