(5)巨匠たちとの対話
さて、ピカソは一九五〇年頃から過去の巨匠たちの傑作を彼の流儀でとりあつかい、描き直すということをしている。いわば、巨匠たちとの対話とでもいうべきものである。一九五〇年には、クールベにならって「セーヌの岸べの娘たち」を描き、同じ年にグレコにならって「画家の肖像」を描いている。
ところが、ピカソがうるさい世間から逃れ、ジャックリーヌとともに「カリフォルニー」荘に閉じこもってから、彼はさらに、ドラクロワ、ヴェラスケス、マネなどの巨匠たちと対話し、他方、「アトリエ」と「画家とそのモデル」のテーマを追求するようになる。
一九五四年十二月十四日から一九五五年二月十四日にかけて、ドラクロワの「アルジェの女たち」の主題による十四のヴァリエーションが描かれる。
ついで一九五七年八月十七日から十二月三十日のあいだに、ヴェラスケスの「女官たち(ラス・メニナス)」についての四四のヴァリエーションが描かれている。
また一九五七年にはクラナッハの「ヴィナスと蜜の盗人(ぬすびと)アモール」によって、グワッシュ画「ヴィナスとアモール」が制作される。
一九六〇年二月二十七日から一九六一年八月十九日のあいだには、マネの「草上の昼食」の主題によるヴァリエーション二七点が描かれる。
だが、ピカソは先輩の巨匠たちを模倣しない。彼は先輩たちを彼独得の造形的世界に招き入れる。あるいは先輩たちのテーマや構図をかりて、自分自身の絵画言語で語り直す。ピカソが巨匠たちとの対話をつづけ、そのヴァリエーションを描くのは、古典にたいする自分の違い、自分の新しさ、二十世紀の新しさを強調するためのようである。この頃の主要な作品をもっとよく見てみよう。
(つづく)
さて、ピカソは一九五〇年頃から過去の巨匠たちの傑作を彼の流儀でとりあつかい、描き直すということをしている。いわば、巨匠たちとの対話とでもいうべきものである。一九五〇年には、クールベにならって「セーヌの岸べの娘たち」を描き、同じ年にグレコにならって「画家の肖像」を描いている。
ところが、ピカソがうるさい世間から逃れ、ジャックリーヌとともに「カリフォルニー」荘に閉じこもってから、彼はさらに、ドラクロワ、ヴェラスケス、マネなどの巨匠たちと対話し、他方、「アトリエ」と「画家とそのモデル」のテーマを追求するようになる。
一九五四年十二月十四日から一九五五年二月十四日にかけて、ドラクロワの「アルジェの女たち」の主題による十四のヴァリエーションが描かれる。
ついで一九五七年八月十七日から十二月三十日のあいだに、ヴェラスケスの「女官たち(ラス・メニナス)」についての四四のヴァリエーションが描かれている。
また一九五七年にはクラナッハの「ヴィナスと蜜の盗人(ぬすびと)アモール」によって、グワッシュ画「ヴィナスとアモール」が制作される。
一九六〇年二月二十七日から一九六一年八月十九日のあいだには、マネの「草上の昼食」の主題によるヴァリエーション二七点が描かれる。
だが、ピカソは先輩の巨匠たちを模倣しない。彼は先輩たちを彼独得の造形的世界に招き入れる。あるいは先輩たちのテーマや構図をかりて、自分自身の絵画言語で語り直す。ピカソが巨匠たちとの対話をつづけ、そのヴァリエーションを描くのは、古典にたいする自分の違い、自分の新しさ、二十世紀の新しさを強調するためのようである。この頃の主要な作品をもっとよく見てみよう。
(つづく)
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