スターリン肖像事件

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スターリン肖像事件

 一九五三年、スターリンの死去に際して、いわゆるスターリン肖像事件が起こる。アラゴンの要請にこたえて、ピカソはスターリンの肖像を木炭で描く。それは三月十二日付の「レットル・フランセーズ」紙の第一面に掲載された。一般の読者が優しい白髪の老人を期待していたのに、ピカソの描いた肖像は青年時代の若いスターリン像であった。それは一部の読者の抗議をよび起こすことになる。そして当時、フランス共産党書記長モーリス・トレーズがソヴェートに滞在中で、その留守中オーギュスト・ルクールとアンドレ・マルチィに指導されていた書記局は、肖像の公表から一週間後、公式の声明を発表した。
 「偉大な芸術家ピカソの心情を疑うものではないが、フランス共産党書記局は、レアリスム芸術の発展のために勇敢にたたかっている党中央委員、同志アラゴンが、この肖像の公表を許したことを遺憾とする。……」
 これはスターリンの肖像事件に乗じた、ルクールとマルチィらの分派主義的陰謀であった。さらに当時現われていた狭量な社会主義レアリスの信奉者たちが、その火に油をそそいだ。
 ピカソはAAP通信のインタビューに答える。「スターリンが死んだ時、アラゴンは電報でスターリン追憶に何かを描くようにと言ってきた。わたしは作家ではないので、一枚のデッサンを描いた。わたしは自分が感じたとおりに描いた。わたしはスターリンに会ったことがなかったから。わたしは(写真に)似るように努めた。」
 しかし、この抗議、攻撃のなかで、これを機会にピカソの大衆への共感を思い出し、彼の作品をその時代のドラマの反映とみなし、彼の寛大さ、善意をたたえることを忘れなかった人びともいた。とりわけイタリヤの画家たちは、ピカソの作品におけるヒューマニスムを高く評価した。
 「きみは人間を描いた、貧しい者、流浪者、狂人、英雄、殉難者、そしてまた怪物、反人間、殺し屋を……人間侮蔑のはびこるご時世に、きみは人間について語った」(『レアリスモ』一九五三年三・四月号、レナート・グットーソ「ピカソ礼讃」)
 アラゴンは「大きな声で」を書いて事態を収めようとする。
 「……ピカソの描いたジョルジャ人の民族的性格の目立つ、若いスターリン像をわたしは見た。わたしはピカソの感覚を疑わなかった。まさしくスターリンの死はピカソをほんとうに悲しませたにちがいないから、ピカソはスターリンの肖像を描こうとしたのだ──ということに、わたしは感激した……このイメージのなかには、ピカソが人物像にたいしてしばしば用いる歪曲、ゆがめがひとつもない。さらにこのデッサンの線のひとつひとつは、髪の描き方といい、ポール・エリュアールの肖像におけるような下地の線といい、署名とおなじようにピカソの特徴を示している。そしてわたしはまた、このデッサンがわたしの眼の下を通過する短い瞬間に、ピカソの四十もの署名を見た。そしてそれはわたしに重要なことに思われたのだが、ピカソがスターリンのイメージのために彼の技法をふるい、彼の誠実な経験を傾けようとした証しを見たのである……
 どうかわたしを許してほしい。われわれの途上には、この討論のほかになすべき多くのことがあるのだから……最後につぎのことを言うことを許されたい。この途上でわれわれは、われわれの戦列に、敵がひどくわれわれを羨んでいるひとりの人間をもっている。それは全世界に有名な偉大な芸術家であり、「ゲルニカ」と「鳩」の画家であり、制作、探求の長い生涯の果てにいる人間であり、きわめて謙虚なつつましい人間である。わが友、われらの友、パブロ・ピカソである」(一九五三年四月九日付「レットル・フランセーズ」)
 五月に帰国した共産党書記長トレーズは困惑を表明し、九月、党は三月の声明をとり消すことにした。次の年ルクールは党から除名されたのである。

スターリン

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