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シャヴァンヌ 4 作家の心理(中)

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4 作家の心理(中)

 シャヴァンヌは遺伝と環境とに依る多くの美質を持ってゐた。精密さ、明晰、強い視覚、人体や事物の特徴に就いての驚くべき記憶等がそれである。此等の天性を仕事と反省とに依って絶えず研磨すると云ふ事こそ彼にとって至高の義務であったが、それが彼の技法をより力強く高めたのであった。鉄の様な健康と、溢るる様な想像力と、激しい自尊心とによって、彼は最も異常な創案を描き、極めて大膽な意匠と、特異な夢想を抱き、それを執拗に追究したのである。かうして彼が自己に課した偉大な芸術家になると云ふ人生の目的を実現しようとしたのである。かくて、労作すると云ふ事は彼の眞の情熱となり、その情熱は決して弱まった事は無く、寧ろ一作毎に強まるかに見えた。彼は絶えず世俗的及び社会的強制から遠く離れて、労作する事のみを心掛けてゐたと言へよう。晩年に至る迄の彼の大きな評価はそれを證してゐる。

《友よ、唯仕事をする事の中にのみ憩ひがあります。その他は総て私を疲れさせます。眞の良い気晴らしにも快楽にも私は性が合いません。その為には巧みに暇を潰す事の出来る有閑な藝術家で無ければなりませんが、それは私には出来ません。》
 私は時々、われらの偉大なローヌの地の事を考へます。幾度、その広大な地平線の中に英気を養ふ為に、幾度汽車に乗らうとした事でせう。併し、それは何時も夢に終ります・・・。

 この様な孤独と労作との中で、シャヴァンヌは精神(エスプリ)の自由を獲得し、かくて激しい不当な攻撃にもよく堪へ、それらに妨げられる事無く、己が芸術的理想の完全な実現を根強く追究し得たのである。しかし一般に考えられる様に、彼の多くの敵対者及び讃美者たちの批評に対して、彼が将来の侮蔑と故意の軽蔑を持ってゐたのではなく、反対に彼程自分の仕事に対する批評に敏感で動かされやすい芸術家は無かった。次の様な若き日の友情を破り捨てる様な苦々しい出来事もあった。エドモン・アヴウがシャヴァンヌの或る作品に就いて、デッサンも絵の具の塗り方も識らないと言って非難する激烈な批評を書いてから間もなく、街でシャヴァンヌに会った。アヴウは彼の方に近寄って手を指し出して言った《シャヴァンヌ君、お目にかかれて嬉しいです。》
シャヴァンヌは答へた。《どうか、もう僕には言葉を掛けないで呉れ給へ。例へ不幸にも道でお会ひしても。》エドモン・アヴウは多くの協同の友を介して和解をしようとしたが、シャヴァンヌの決意は動かなかった。彼は批評家が己が名声を維持する為に不当な批評に依って画家を侮辱するのを許すことが出来なかった。

 一八七九年、私は《現代藝術家叢書》の一冊としてシャヴァンヌの作品研究を出版した。その書の中で、私はアミアン美術館の諸画《平和》《戰爭》《労働》《憩ひ》《アベ・ピカルディア・ヌ・ヌートリックス》等を青年の熱狂を以って讃美したのであった。一夜、何時もの様にドゥローネーとギュスターヴ・モローを加へて彼と晩餐を取った後、私は彼を家迄送って行った。途々、我々はよも山の事を話した。ピガアル広場に来て別れやうとした時、シャヴァンヌは突然言ふのであった。《では君はパンテオンの僕の絵よりアミアンの方を取るんだねえ。つまり、十四年間と云ふもの僕はぼんやりして居て少しも進歩をしないし、僕はもう発展の余地も無い終った人間だと云ふ訳なんだ。君の意見は僕を慰めては呉れない。君は友達甲斐が無いんだ。こんな状態では僕等はもう友人で無い方が寧ろいいんだ。さよなら(ア・デュウ)》さうして彼は驚いて茫然たる私を残して急いで家に入ってしまった。翌朝早く、私の扉を激しく叩く者があった。こんな早朝に誰が訪れたのかと、急いで扉を開けて見ると、それはシャヴァンヌであった。彼は私に両手を差し出しながら言った。《どうか昨晩の事は苦にしないで呉れ給へ。その事で僕は昨晩一睡も出来なかった。僕のアミアンの絵がパンテオンのより良いと云ふ君の考えは多分理由があるに違ひないのだ。けれども・・・。》突然彼は大笑して、又次の様に付け加へた。《まあいいさ。僕は又やり直さう。怒らないで呉れ給へ。では又会はう。さよなら(ア・デュウ)》そうして彼はいつもの上品な足どりも軽やかにヌウイリイのアトリエへ帰っていった。

 十四年後に私はもう一度同じ様な争ひをシャヴァンヌと繰り返した。この争いに就いては彼は一八九五年九月二日附の手紙で一人の友人に次の様に書き送ってゐる。
 ヴァッションは私のすべての作品中、《ソルボンヌ》を取ると云ってゐます。併し私は、彼がその様な選擇を為すべきではないと言ってやりました。最も、私は同一作家の作品中から個人的に分類したり、選擇し得ると云ふだけは、理解出来ました。しかし、本当は作品を比較する事は出来ないのです。一つの作品はそれ自体完全である事だけが問題なのです。もしもこれらの條件にかなってゐるならばそれは優れた作品で、それはもう他の作品の上位にある訳でも無く、下位にある訳でも無く、それ自体完全なのです。しかし、勇敢なヴァッションは自分の言葉を訂正しようとは思わない様です。彼は批評家としての役割よりは行き過ぎてゐる様に思はれます。
(つづく)

シャヴァンヌ・ノート

*ここの記述で、原著者がヴァッション(マリウス ヴァション)と分かりました。Marius Vachon (1850–1928) フランスの美術評論家。彼の書いた 'Puvis de Chavannes' (1895年 パリ) はこちらで読むことが出来ます。

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