遂げず (3)

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(3)
 白。氷山。オロラ。一秒一秒、色調を變へてゆくぼう大な天よりのプリズムの色階美を持つたカーテン。そのカーテンの色階の縦縞。この極光(オロラ)を背景として、紫色の透明なシカコの影を見る。カシハがその紫色のシカコの姿を、影を把ヘようとすればする程、シカコの紫色の姿は、影は極光(オロラ)の中に吸ひ込まれてゆく……シカコの顔にはあのモナ・リザの微笑がある……と思つた時、シカコの紫色の姿は、モナ・リザの微笑と共に、極光のカーテンの中にすつかり吸ひ込まれて、カシハは、何時の間にか極光を遥か下方に夜光虫のやうに眺める。……カシハは落下傘(パラシュート)にぶら下つてゐる。青い青い平面感が、落下しつつあるカシハを把へる。と極光(オロラ)は消えて、カシハの落下傘は青空と、涯しない碧海との空間を下降しつつある一個の汚点。だんだんカシハの足の下に擴がつて見える碧海は、カシハにべツドの感触を思はせる。この碧いビロードの弾力を、カシハは近親者との抱擁のやうに安心に、心よく思ふ。がやがて海水の感觸を女の肉體に感じた時、カシハはぐんぐん流れて行くのを見出し、海面にポプラの林が薄く靄のやうに現はれて来るのを見る。カシハはポプラの葉つぱのざはめきを聞く……そのポプラの林は少年の時遊んだT河の岸に沿うてあつたのを思ひ出す。霞んだ緑色の両岸が両方から迫つて、両岸から平野が延びてゐる。紫色が視覚を蔽ふ。カシハは、郊外の文明に取り残されたやうな林で、女流畫家が使つてゐたカンバスの上の紫色を見た。その紫色、暗紫色は、モローか、モネーかが、落ち付いた風景畫によく使つてゐた色彩だと思ふ。そして、その女流畫家と紫色で、知り合つた。カシハは女流畫家と、ボンチェリーのダンス・レコードをかけながら、テウ・ステップを踏んでゐる。郊外のささやかな赤瓦の家。そして失戀。シカコ。……
 カシハが、スキー靴の中の足の裏に蜥蜴の皮膚を感じたと思つた時、カシハの視覚の中をブルーセルリユムの空が落下した。そして顔に大理石の触感を持ちながら、頭の中を縦横に走るスキーの抛物線と、雪粉の抛物線とを見た。カシハは身體が、一瞬、石のやうに重いと思ふ。……カシハは断崖の下の雪の沼の中に、カシハ自身が崖の上から落した雪の下に、白い白い物質の中に、白由を持たない四肢を感ずる。

 と、杉林の梢から、雪粉が、ギラギラと輝きながら、降る。馬橇(トロイカ)は銀粉を浴びて滑るのだらうか、走るのだらうか.それとも飛翔するのだらうか。
 カシハは急がなくてはならない。カナンヘ。カナンヘ。スキー大會會場カナン。
 シャンツェ。斜面に於けるスキーの物理作用と、カシハの心理作用。油。蠟。絶えざる脳髄の移行。振動。ジャンプ・カシハは胸のNo.31のゼツグを感ずる。が、レフリは、メガホンで報告した。──No.31. 7.50m。
 ──カシハは骨灰色の螺旋筒を登つて行つたのだ。が登つても、登つても螺旋筒、シャンツェは盡きない。骨灰色の螺旋筒。音波のない暴風雨──気流の旋轉の中に逆立してゐる螺旋筒。カシハは螺旋筒の中で登行への意志が傾斜してゆくのを感ずる。その時カシハははつきり、伝書鳩の翼を持つてゐないカシハ自身を感ずる。そして限りなく骨灰色の螺旋筒を憎悪し、伝書鳩の翼を持つことなしに、空間を歩行することを意慾した。……と加速度的に傾斜を急にして行つたカシハの意志は、螺旋筒の空間を切つて墜落して行つた。カシハは墜落しつつ、螺旋筒の空間に、ファインカットの煙りが充満してゐのを嗅いだ。そしてそこには.ニュトンの物理學も、アインシュタインの物理學もない。カシハの墜落は白灰色の沙漠の中に終結した。白灰色の沙漠。いや、それは、沙漠でも、何の存在でもない白灰色の色彩ばかりだつた。カシハは空間の體積を感じながら、自身の體重を意識しない。そこに、石器時代的な笑、笑、笑。脅迫する哄笑。カシハ、地球上の生物に──ロボットに羨望を感じる。ロボット。銅鐵製の頭蓋骨と足と、赤血球の保温性と。……カシハは白灰色の色彩の中で、人工的なグロキシニアの花を愛し始めた。緑の雨を聞きながら……
(つづく)

(『東京派』四月號 1931年)
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