フランス紀行 4 エリュアールの生地 サン・ドニ(下)

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エリュアールの生地 サン・ドニ(下)

 さて、エリュアールはこの労働者の街サン・ドニに生まれた。父親のクレマン・コジェヌ・グランデルはノルマンディの農民の出で、はじめ会計事務員であったが、のちにはパリに出て不動産屋をいとなむ。かれはまた社会主義的な思想と精神の持ち主で、無宗教でもあった。父親はノルマンディ出ではあったが、エリュアール自身は、パリ市内の労働者街で育ったパリ市民である。一九四七年、五二才のエリュアールはきわめて謙虚に書いている。

 もう ずいぶんと遠い きのうのこと
 わたしは 鎖をつけたまま 生まれた
 わたしは 敗北として 生まれた

 それほど 遠くない きのうのこと
 わたしは 貧乏で心やさしい家族の
 顛える 腕のなかに 生まれた
 生まれながらに 手には何んにもなかった

 みんなひそひそ話して そっとうなずいた
 わたしの家族は だれの記憶にも残っていない
 なんの余映(はえ)もない 影のような人民から生まれた
・・・

 ところで、エリュアールの墓はぺール・ラシェーズの墓地にある。べつの日、わたしは、エリュアールの墓と「連盟兵の壁」に花束をささげに行った。
 エリュアールの墓は、道をへだてて、この壁の前にあった。三十年前の対独レジスタンスの殉難者たち、コロネル・ファビアン、ピエル・タンボー、ギイ・モッケなどの名の刻まれた墓碑とならび、アンリ・バルビュスやジャン・リッシャール・ブロックとならんで、「自由」と愛の詩人は、伸びたバラの枝かげに眠っていた。造花のスミレが一束、供えられていた。わたしはつぎのようなエリュアールの詩を思い出した。

 夜明けは 青年にも老年にもいいものだ
 ということを疑わずに生きた男 ここに眠る
 死ぬとき かれは 生れることを考えた
 なぜなら 太陽はまた のぼってきたから

 この墓碑銘を、かれはみずからのために書いたにちがいない。
 アラゴンやエリュアールなどの、フランスのシュルレアリストたちはどうして共産党員になったのだろう、という素朴な疑問を、わたしは以前からいだいていた。「赤い町」サン・ドニから、ペール・ラシェーズの赤い壁の前を訪れてみると、わたしの疑問の一半はおのずと解かれたような気がした。
(この項おわり)

<草稿『詩と詩人たちのふるさと──わがヨーロッパ紀行』>
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